「旭川」詩碑

1.テキスト

  旭川。
                    宮沢賢治
植民地風のこんな小馬車に
朝はやくひとり乗ることのたのしさ
「農事試験場まで行って下さい。」
「六条の十三丁目だ。」
馬の鈴は鳴り馭者は口を鳴らす。
黒布はゆれるしまるで十月の風だ。
一列馬をひく騎馬従卒のむれ、
この偶然の馬はハックニー
たてがみは火のやうにゆれる。
馬車の震動のこころよさ
この黒布はすベり過ぎた。
もっと引かないといけない
こんな小さな敏渉な馬を
朝早くから私は町をかけさす
それは必ず無上菩提にいたる
六条にいま曲れば
おゝ落葉松 落葉松 それから青く顫えるポプルス
この辺に来て大へん立派にやってゐる
殖民地風の官舎の一ならびや旭川中学校
馬車の屋根は黄と赤の縞で
もうほんたうにジプシイらしく
こんな小馬車を
誰がほしくないと云はうか。
乗馬の人が二人来る
そらが冷たく白いのに
この人は白い歯をむいて笑ってゐる。
バビロン柳、おほばことつめくさ。
みんなつめたい朝の露にみちてゐる。

2.出典

旭川(清書後手入稿)」/『春と修羅』補遺

3.建立/除幕日

2003年(平成15年)8月2日 建立/除幕

4.所在地

旭川市六条十二丁目 旭川東高等学校南側

5.碑について

 1923年の夏、樺太(サハリン)へ向かう旅の途中で、賢治は旭川に立ち寄りました。
 種々の考証によって、彼が8月2日の朝4時55分に旭川停車場に降り立ち、11時54分に稚内に向けてまた列車で旅立ったであろうことは、かなりの確度で推定されています。しかし、旭川に滞在した約7時間の賢治の行動に関しては、私たちに残されている資料は、この「旭川」と題された一篇の作品だけです。
 それは、さらりと書かれた28行の小品にすぎません。しかし、ここに記された範囲の事柄については、まるで一つのビデオクリップを見るように、旭川の街にいる賢治の姿を活き活きと映してくれています。

 彼は早朝の停車場で小さな馬車に乗り、「農事試験場まで」行くよう馭者に言います。これがおそらく、賢治の旭川立ち寄りの目的だったのでしょう。
 馬車は旭川駅から北へ、当時「師団通」と呼ばれていた街道(現在は「平和通買物公園」=右写真)を、爽やかな風を受けて走ります。途中で騎馬従卒とすれちがいますが、その馬は賢治の大好きなハックニー種でした。戦前の旭川は、陸軍の精鋭第七師団が駐屯し「軍都」と呼ばれるほどの街で、軍馬には上等なハックニーも多かったのです。

 師団通をまっすぐ900mほど北に進んで六条通の角に出ると、ここから右に曲がります(右写真)。この通りで賢治は、落葉松やポプラや柳の街路樹を目にしますが、下写真のように、当時からあったと思われる樹々が、現在もここには残されています。
 彼は六条通を東へ進みながら、また乗馬の二人とすれちがい、清々しい朝を満喫しています。


落葉松

ポプラ

 それにしても、彼はこの馬車の道行きに、何と強く心を躍らせていることでしょう。もともと馬は好きな賢治ですが、この日は本当に嬉しくてしょうがないという様子です。
 そう言えば、前年に小岩井農場へ行った際には、やはり駅前に停まっていたハックニーの馬車に乗りたかったのにぐずぐず迷って乗れず、後々まで(「パート二」に入っても)繰り言を言っていたのでした。今回の車上の痛快さは、まるでその時の裏返しのようです。

 さて、この日の賢治の旭川での足どりは、六条十一丁目~十二丁目にある旭川中学校の前を通ったであろうことまでは確かに作品から読みとれます。しかしその後は、どうなったのかわかりません。
 実は、「六条の十三丁目」に以前はあった農事試験場は、この時すでに10kmも郊外の永山という場所に移転してしまっていたのです。十三丁目の角まで来て、お目当ての施設がなくなっているのを知った賢治は、はたしてその後どうしたのでしょうか。
 あきらめずに引きつづき永山に向かったとすれば、作品がここで終わってしまうのはやや不自然な気もします。この直後に賢治が味わった軽い失望が、それまでの高揚した気分を萎えさせたのかもしれません。
 やはり小岩井農場の時のように、ここでも「折り返し点」は作品には現われません。

 いずれにしても、あと数時間を旭川ですごした賢治は、昼前にはふたたび車中の人となり、さらに北へ、稚内へと旅立ったのです。

◇           ◇

 この詩碑は、作品中にも出てきた旭川中学校(現在の旭川東高等学校)の創立百周年、定時制の八十周年を記念して建てられました。賢治に関心を持たれた元校長先生の、ご尽力の賜と聞いています。除幕が行われた2003年8月2日は、賢治の旭川来訪から、ちょうど80周年の記念日にあたっていました。

 私がここを訪ねたのは、その二週間後の朝でした。旭川駅で降りて賢治の足どりに沿って歩くと、やはり空は冷たく白く、「十月の風」を思わせる清澄な空気がありました。


【謝辞】 勝手な訪問者を暖かくお迎えいただいた旭川賢治研究会の石本裕之さんに、厚く御礼申し上げます。


当時の旭川市街 (松田嗣敏氏による)