NHK「こころの時代―“デクノボー”という生き方」

 今日午後2時からNHK教育で、「こころの時代」シリーズの一つとして、山折哲雄氏に話を聞く「“デクノボー”という生き方」という番組をやっていたので、見てみました。
 内容は、先頃山折氏が刊行された『デクノボーになりたい』(小学館)という本の第二章「「デクノボー」とは何か」の内容を、おおむねわかりやすく解説してくれるようなものでした。

 宗教学者の山折氏が、ことに最近になって「デクノボー」概念にこだわるようになったきっかけは、氏自身も花巻出身である縁もあって、「花巻のトルストイ」と呼ばれたキリスト者・斎藤宗次郎の自叙伝の一部を、最近編集出版されたことによるようです。
 ここで「斎藤宗次郎がデクノボーのモデル」という話にもつながってくるのですが、じつは山折氏自身は、斎藤宗次郎を「デクノボーのモデルである」とする言い方は、慎重に避けておられます。今日見た番組でも、「モデルが誰かと論じはじめると、非常に薄っぺらな話になってしまう」と語っておられ、あくまで宮澤賢治がある時期に出会い、たがいに尊敬しあった人間として、その人物像が賢治の心の中に何かの影響を残したのではないか、というお話です。

 デクノボーのモデル論としては、法華経に出てくる「常不軽菩薩」(詩碑解説参照)との関連が指摘されたり、最近でもイーハトーブセンター掲示板では、「良寛和尚」の話が出たりしていますが、確かに、こっちがモデルで、あっちは違う、などという話になってしまっては、不毛になりますね。

 また山折氏のお話では、賢治の「宗教的な重層性」という視点も印象的でした。
 青年期以降は法華経を深く信仰し、一時の彼の行動はかなり「狂信的」で、保阪嘉内に法華経を無理強いしている頃の書簡などは、読んでいてちょっとうんざりしてしまいます。その後はより穏やかになったとはいえ、死の間際にも法華経を山に埋めるよう遺言したように、信仰は終始一貫していた賢治でした。現代でもそうですが、たいていの日蓮系の教団というのは、一神教に近いような原則性・排他性を持っていて、賢治も一面では、そうであったと言えます。
 しかし山折氏は、少年期までの浄土真宗、青年期のキリスト教との出会いが、作品にも様々な影響を与えているところなどから、賢治の信仰はかなり「重層的」だったということを指摘されます。確かに、科学的な農業を勧める一方で「庚申信仰」に興味を示したり、「剣舞供養碑」や「出羽三山の碑」の絵を晩年のメモに書きつけたり、私としても賢治の関心が宗教においても非常に多元的であることを感じていました。さらに、昨年夏に花巻で調べ歩いた時、彼が「経埋ムベキ山」に選んだ山々が、ことさら神仏習合的な土着信仰にいろどられていた点も、心に残っています。

 番組の最後で山折氏は、これからの自分の研究人生のことを、「デクノボー」と「同行二人」となるつもりだと述べておられました。今後も実り多いお仕事を期待したいと思います。