このページの右下の「賢治情報リンク」にも挙げている「イーハトーブセンター」掲示板に、入沢康夫さんが「
「ヒデリ」の文献的根拠」について、詳細な書き込みをしておられます。
これまでの入沢さんらの論述については、住田町の「雨ニモマケズ」
詩碑のページでも簡単にご紹介していましたが、今回の書き込みのおかげで、例えば「グスコーブドリの伝記」の発表形においても、
旱害の描写に続いて「ひどり」と書かれていたことなどをあらためて知りました。
「ヒドリ」を「ヒデリ」と校訂することの妥当性については、すでに決着がついているのは明らかですが、賢治詩碑フリークとしての立場から言えば、よりによって最近建立された「雨ニモマケズ」詩碑の二つ、右写真の住田町のもの(2002年) と南城中学校のもの (2003年)の碑面に「ヒドリノトキハ」と刻まれているのは、いったいどういう意図によるものかと、不思議な感じがぬぐえません。
やはり世間にはまだ誤解が残っているようなので、入沢さんがあえて今いちど徹底的な論証を提示されるのも、
ご苦労なことながらまた十分に意義のあることだろうと思いました。
hamagaki
追加です。
このテーマに関してさらに入沢康夫さんは、「イーハトーブセンター」掲示板に『「ヒドリ」→「ヒデリ」の校訂に対する、論難と反駁(「ビジテリアン大祭」ふう)』という一文を書き込んでおられるではありませんか(4月12日付け)。
この、当代随一の‘詩人&賢治研究者’によるユーモアあふれるパロディーを、ネット上でリアルタイムに読めるというのは、なんと素晴らしいことでしょう。
最後の〔満場苦笑〕というのがいいですね (^_^;
ぱいぽ
6月4日の朝日の朝刊の「声」欄でこれについて言及していた方がいらっしゃいました。興味深いテーマだと思い検索してここに来ました。読んで納得しました。なるほど、「ヒデリ」が正しいのですね。ありがとうございました。