大船渡から花巻へ(2)

 「(さかり)街道」は、 大船渡市内の宿場町である盛と、内陸の水沢とを結ぶ、古くからの街道です。江戸時代や明治時代には、 多くの物資が往来する重要なルートだったということですが、大船渡線や岩手軽便鉄道など、 中央部と太平洋側を結ぶ鉄道が別のところに開かれるに伴い、往時ほどのにぎわいはなくなったというのは寂しいことです。

 今日は、この街道に沿って西に向かいます。朝早くホテルを出ると、7時31分大船渡駅前発のバスに乗りました。バスは盛を通り、 気仙川盛川に沿って山の中に入って行きます。谷間の道を30分ほど登ると、世田米という細長い宿場町に着きました。 街道に面して立派な構えの家が並び、歴史を感じさせる町並みです。じつは去年、この世田米に賢治の詩碑ができたという新聞記事を見たので、 今日はここでまずバスを降ります。
 街道をまっすぐ歩いて町はずれに出ると、気仙川にかかる瀬音橋という橋のたもとに、詩碑はありました。落ち着いた味のある書体で書かれた 「雨ニモマケズ」ですが、例の「ヒデリノトキハ…」の部分は「ヒドリノトキハ…」となっており、全集版とはまた違った校訂です。
 これを写真におさめると、釣りをする人を見ながら町並みへ戻り、こんどはタクシーでさらに西へ、姥石峠の手前にある「道の駅 種山ヶ原」 に向かいました。ここにも一昨年、「種山ヶ原」の詩碑が建立されたと、 やはり新聞記事で見たのです。

 「道の駅」に降りてみると、碑はすぐにわかりました。記事によれば、これは現時点で賢治の詩碑としては全国最大とのことですが、 さすがにこれくらい大きいと、通りすがりの人も足を止めて見て行きます。

 碑を撮影し終えてもまだ10時すぎで、帰りのバスまでにはたっぷり時間があったので、種山ヶ原を散策することにしました。 林の中では雲雀や鶯がさかんに鳴き、まだふきのとうも顔を出しています。これまでも夏や秋には来たことがあったのですが、 以前いちめんのすすきの野原だったところが熊笹ばかりだったり、まわりの景色はすっかり違っていました。
 お昼ごろに種山の頂上に着くと、その辺の岩の上に坐って30分ほど風に吹かれました。 平地では天気がよくても、さすが種山ヶ原は雲が多く、岩手山や早池峯山は見えません。
 すこし寒くなってきたので下山を始めましたが、途中、「星座の森」キャンプ場では、なつかしい「風の又三郎像」に再会することができました。 また驚くべきことに、山かげにはまだ少量の雪(!)も融けずに残っており、夏のような暑い日ざしの下で雪を手にするという、 不思議な経験もできました。

 「道の駅」まで下りてきた時には、いいかげん足もくたびれていました。ここに併設されている「レストランぽらん」で「辛味鶏定食」 を食べて、16時6分発水沢行きのバスに乗りました。

 伊手や銚子山をすぎて、最後に北上川を渡って水沢の駅に着くと、もう太陽は西に傾いてあたりは黄いろく染まりかけていました。 その陽ざしを横から受けて、東北本線下り列車で花巻に向かいました。