三六八

     種山ヶ原

                  一九二五、七、一九、

   

   まっ青に朝日が融けて

   この山上の野原には

   濃艶な紫いろの

   アイリスの花がいちめん

   靴はもう露でぐしゃぐしゃ

   図板のけいも青く流れる

   ところがどうもわたくしは

   みちをちがへてゐるらしい

   ここには谷がある筈なのに

   こんなうつくしい広っぱが

   ぎらぎら光って出てきてゐる

   山鳥のプロペラアが

   三べんもつゞけて立った

   さっきの霧のかかった尾根は

   たしかに地図のこの尾根だ

   溶け残ったパラフヰンの霧が

   底によどんでゐた、谷は、

   たしかに地図のこの谷なのに

   こゝでは尾根が消えてゐる

   どこからか葡萄のかほりがながれてくる

   あゝ栗の花

   向ふの青い草地のはてに

   月光いろに盛りあがる

   幾百本の年経た栗の梢から

   風にとかされきれいなかげらうになって

   いくすじもいくすじも

   こゝらを東へ通ってゐるのだ

      

 

 


   ←前の草稿形態へ

関連作品へ→