岩手紀行(2)


 ご覧のように、今日は朝から昨日よりはよい天気に恵まれて、岩手山もだいぶ姿を見せてくれました。 今日は岩手山の南麓から東麓をめぐります。数々の賢治の童話や詩の舞台となり、渡部芳紀さんが 「イーハトヴ銀座」と呼んでおられるあたりです。

 まずタクシーで、相之沢の鞍掛山登山口にある駐車場へ行きました。タクシーで行き先を告げると、「駐車場に何か忘れ物?」 と聞かれました。いえ、ここには、「くらかけの雪」詩碑があるのです。 碑の向こうにはあこがれのくらかけ山がまぢかに見えますが、登るのはあきらめて、次の目的地の春子谷地湿原へと向かいます。
 この辺には谷地(やち)とよばれる湿原が点在し、童話「土神と きつね」の舞台も、ここから東北の方角の一本木のあたりだったようです。 見晴らしのよい湿原のわきで「きみにならびて野にたてば」の詩碑を撮影すると、こんどは柳沢の「岩手山馬返し登山口」 にある歌碑へ行きました。ここまで来ると、岩手山は仰ぎ見るほどに迫っています。

 さらに、岩手山の東側へまわり、「焼走り熔岩流」へと向かいました。ここは江戸時代の噴火で流れた熔岩の跡ということですが、 まるで月面のように荒涼とした岩礫が真っ黒に広がり、人間にとってはショッキングな光景です。賢治はここの詩碑になっている 「鎔岩流」 という作品において、「畏るべくかなしむべき砕礫熔岩(ブロックレーバ)の黒」と描きました。
 この日、あたりを歩いているあいだじゅう、近くの陸上自衛隊岩手山演習場からは、「ドーン、ドーン」という大砲の音が響いていました。 賢治は「鎔岩流」の二年後に「三三七 国立公園候補地に関する意見」 において、「最后は山のこっちの方へ/野砲を二門かくして置いて/電気でずどんと実弾をやる」などと、 この場所の演出のための余興を考えていますが、はからずもまさにそのとおりの状況を体験できたわけです。

 「…こんなあかるい穹窿と草を/はんにちゆつくりあるくことは/いつたいなんといふおんけいだらう…」(一本木野

 というわけで、今日は四つも石碑を見ることができました。温泉から上がると窓の外には、美しい姫神山の姿があります。