贈与と交換のエートス

 童話「セロ弾きのゴーシュ」では、夜遅くまでセロの練習をしているゴーシュのもとへ、三毛猫、かっこう、狸の子、野ねずみ、という4種の動物が、順に訪れます。そして、各自それぞれの理由から、ゴーシュにセロの演奏を依頼します。

 最初の三毛猫は、「わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです」という理由で、シューマンの「トロイメライ」をリクエストするのですが、手土産としてトマトを持参していました。

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司修「セロ弾きのゴーシュ」

「これおみやです。たべてください。」三毛猫が云ひました。
ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを一ぺんにどなりつけました。
「誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。第一おれがきさまらのもってきたものなど食ふか。それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。いままでもトマトの茎をかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。行ってしまへ。ねこめ。」
すると猫は肩をまるくして眼をすぼめてはゐましたが口のあたりでにやにやわらって云ひました。
「先生、さうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」
「生意気なことを云ふな。ねこのくせに。」

 たしかに何とも生意気な猫の物言いですし、ゴーシュの畑から勝手に取ってきたトマトでは、演奏をお願いする対価にはなりません。
 昼間の練習で楽長から怒られてむしゃくしゃしていたゴーシュは、その鬱憤をぶつけるかのように、「トロイメライ」ではなくて「印度の虎狩り」という猛烈な嵐のような曲を弾き、猫をこてんぱんにやっつけてしてしまいます。

 次の晩にやってきたかっこうは、外国へ行く前に「ドレミファを正確に」歌えるようにしておきたいということで、「かっこう」というフレーズを繰り返し何度も弾くよう、ゴーシュに頼みました。
 この晩もゴーシュは、最初のうち乗り気ではありませんでしたが、かっこうの熱意に押される形で、調弦の後「かっこうかっこうかっこう……」と弾いてやりました。かっこうは「たいへんよろこんで」一緒に歌い、さらに二人で合奏を続けました。しかしいつしかゴーシュは、「ふっと何だかこれは鳥の方がほんたうのドレミファにはまってゐるかなといふ気がして」きて、途中でやめてしまいます。
 結局、かっこうは不満を残したまま飛び去ることになりますが、それでも二人は暫くの時間、正しい音程を探すための共同作業を行ったのです。

 三日目の晩に来た狸の子は、小太鼓の演奏をセロと合わせてほしいと言って、「愉快な馬車屋」という楽譜を持って来ました。この日も最初ゴーシュは狸汁などと言って脅してみましたが、じきに狸の子の無邪気さにほだされて、合奏を始めます。
 実際に合わせてみるとなかなか面白く、また狸の子からは、特定の弦を弾く時にタイミングが遅れることを指摘されました。それは粗末な楽器のせいでもあるようでしたが、二人は夜明けまで懸命に合奏を続けました。

 最後四日目の晩にやってきた野ねずみの親子は、ゴーシュのセロの振動が子供の病気の治療によいからと言って、演奏を懇願します。この日はゴーシュも嫌がらずに、子ねずみをセロの胴の中に入れて演奏してやり、そのおかげで子ねずみは元気になった様子です。おまけにゴーシュは、平身低頭して帰ろうとする親子に、パンのかけらも持たせたのでした。

 以上の四晩の、ゴーシュと動物の間のやり取りの結果をまとめると、三毛猫はゴーシュに希望の曲を弾いてもらえず、逆に酷い目に遭わされてしまいました。
 かっこう、狸の子、野ねずみは、多少の程度の差はあれ、結果的にはそれぞれが希望した演奏をゴーシュにしてもらうことができました。

 それでは各訪問者は、自分の希望をかなえてもらうために何をしたのかというと、三毛猫だけは、ゴーシュへの手土産としてトマトを持参していました。
 かっこう、狸の子、野ねずみは、特に何も対価は提供せずに、ただゴーシュに演奏をお願いしたのでした。頼まれたゴーシュの方は、最初はあまり気乗りしない様子を見せながらも、結果的にはそれぞれの動物の希望に合わせた演奏をしてやりました。

 すなわち三毛猫は、ゴーシュからセロの演奏というサービスを提供してもらうための対価として、ゴーシュに品物を提供するという「交換」を申し出たにもかかわらず、失敗に終わりました。これに対して、かっこう、狸の子、野ねずみは、自らはゴーシュに何も提供せずに、ただ相手の好意に甘えて無償で演奏をしてもらうという「純粋贈与」を求めた結果、成功したのです。
(結果的にゴーシュは、かっこう、狸の子、野ねずみとのやり取りを通して、様々な「気づき」を得て成長を遂げるので、終わってみればゴーシュの方でも対価を得たということができますが、これはあくまで結果論にすぎず、演奏を行う時点では「無償奉仕」だったのです。)

 さて、種々のサービスが商品として流通している社会において、何らかのサービスを提供してもらいたいと希望するならば、一般的には無償奉仕を頼むよりも、サービス提供者にその対価を提供すること=「交換」を提案する方が、成功しそうなものです。それにゴーシュは、いくら「あんまり上手でない」と言っても、町の活動写真館でセロを弾いて報酬を得ている「職業音楽家」なのですから、なおさらでしょう。
 ところが、この「セロ弾きのゴーシュ」というお話においては、「交換」を試みようとした三毛猫は失敗し、「純粋贈与」を求めたかっこう、狸の子、野ねずみは成功するという結果で、常識的な予想とは逆になっているのです。

 もちろん、三毛猫の態度は生意気でしたし、対価として提供しようとしたトマトはゴーシュの畑のもので、まだ熟してもいない代物でしたから、ゴーシュがこの「交換」を拒絶したのは、当然のようにも見えます。しかしそれでは、三毛猫がちゃんと熟したトマトを他で調達して持参していたならば、ゴーシュは気を良くして猫の望み通りの演奏をしただろうかと考えてみると、やはり私にはそうは思えないのです。
 この場合の「交換」というのは、下世話な言い方をすれば「金品の力で相手を動かす」ことであり、賢治という人は、そういうこと自体があまり好きではなかったように思うのです。

 たとえば、一時の賢治はあちこちの田畑に出張してその土壌を調べ、適切な肥料を設計するという活動を積極的に行っていましたが、その際に農家の人々から対価をもらったことはなく、全て無償でやっていたということです。
 あるいは、賢治は若い頃に父から質屋の店番を任されると、「入質に来た人の言うままに金を貸してやって、父に「あれでは店がつぶれてしまう」と叱られた」(小倉豊文「二つのブラックボックス──賢治とその父の宗教信仰」)という有名な話があります。これも、客が持って来た品物を見定めて妥当な金額の質料と「交換」するという、商取引的な行為に対して、賢治が抵抗感を抱いていたことの表れだろうと思います。

 つまり、「セロ弾きのゴーシュ」において、「交換」が失敗して「純粋贈与」は成功するという筋書きになっているのは、単なる偶然ではなくて、賢治という人が持つある本質的な特性を反映したものではないかと思うのです。

 ところで、「トマトを持参したけれども交換に失敗する」と言えば、賢治の作品で印象的なものがもう一つあります。
 あのかわいそうなペムペルとネリが出てくる、「黄いろのトマト」です。

 小さな兄妹二人だけで何不自由なく暮らしていたペムペルとネリは、ある時にぎやかな町のサーカスに魅せられます。どうしてもサーカス小屋に入ってみたいペムペルは、畑でとってきた黄金のように美しいトマトを入場料として差し出すのですが、番人に罵られてトマトを投げつけられ、周囲の大人たちには笑われて、二人は泣いて帰るのです。

 このお話については、詩人で作家の寮美千子さんによる、素晴らしい評論があります。(寮美千子「ペムペルとネリはどうしてそんなにかわいそうなのか――「悲しみの起源の神話」としての『黄いろのトマト』」、『季刊ぱろる4 宮澤賢治といふ現象』 1996年9月)
 15歳の時に賢治のこの物語を読んで泣いたという寮さんは、そのタイトルのとおり、「ペムペルとネリはどうしてそんなにかわいそうなのか」という問題を、解き明かしていきます。
 まず寮さんは、「黄いろのトマト」とはいったい何だったのかということについて、次のように指摘します。

 畑に黄色いトマトが実ったとき、ふたりはそれを「黄金」だと思った。ここでいう「黄金」とは、すばらしいもの、立派なもの、美しいものの象徴だ。それは、その美しさだけで世界から屹立している。美しさはまっすぐにペムペルの心に届き、彼にはそれを感受する能力がある。ネリも兄とともに黄色のトマトの美しさ立派さを共有する。だからこそ、大切にして手も触れなかった。
 そう、世界はほんとうは美しいもので満ちているのだ。子どもたちは、それを知っている。風に舞う花びらを掌いっぱいに拾いあつめる。蜘蛛の巣に結んだ銀色の雫に見とれる。海岸で波に洗われていたガラスのかけらを宝物にする。ただ美しいというだけで、そこに絶対的価値を見いだす能力が子どもにはある。「黄色のトマト」は、それら美しいものたちの脊属のひとつだったのだ。
 それが価値があるのは、その瞬間、それが輝いているからだ。他に理由はない。珍しい貴重な物だからでも、所有できるものだからでも、他の何かと交換できるからでもない。どんなにありふれていても、どんなにはかなくても、たとえ自分のものにならなくても、なんの役にもたたなくても、きれいなものはきれい、すてきなものはすてき。つまりそれは、存在そのものが輝いているということだ。子どもは、世界の輝きを直に感じとる。存在そのものと、直に交感する。
 存在の輝きは、それぞれの固有さから発する。決して何かと「交換」したりできるような類のものではない。何ものとも交換できないということが輝きの本質なのだ。世界のすべては、本来交換不可能なものからできている。すべては、かえがえのない存在だということだ。

 つまり本当に貴いものは、それ一つだけのかけがえのないものであり、交換は不可能だったはずなのです。
 しかし、サーカスに入りたい一心でペムペルは……。

 それなのにペムペルは、そこに交換の原理を持ちこもうとした。「黄金のトマト」を「サーカス見物」などというものと交換しようとしたのだ。確かにそれは魅惑的だった。そう見えるようにつくられているのだから。けれど、遠くからは美しいと思った音楽が、近づいてみれば興ざめな代物だということにペムペルはすでに気づいていた。それなのに、彼はサーカスに魅了された。そのうすっぺらな魅力に捕われて、かけがえのない輝きと交換しようとしたのだ。「黄色のトマト=黄金=お金」という等式を成立させて。
 これは決定的な誤謬だった。なぜなら「美しく立派なもの」を意味する「黄金」は、「あらゆるものと交換可能なもの」を意味する「お金=黄金」とは絶対に重ならないものだからだ。(寮美千子「ペムペルとネリはどうしてそんなにかわいそうなのか」)

 そんな不可能な「交換」を試みたペムペルは、サーカス小屋の番人に罵倒され、周囲の大人たちには嘲笑されたのです。

 やはり賢治は、この「黄いろのトマト」という物語においても、「交換」という行為への根源的な不信を表明しているように、私には思えるのです。

 それはまた、「なめとこ山の熊」においても感じられます。
 山の中ではあれほど気高く勇敢な熊撃ちの小十郎ですが、熊の胆と毛皮を買ってもらうために町の荒物屋に行くと、本当に哀れな様子になってしまいます。

「旦那さん、先ころはどうもありがたうごあんした。」
あの山では主のやうな小十郎は毛皮の荷物を横におろして叮ねいに敷板に手をついて言ふのだった。
「はあ、どうも、今日は何のご用です。」
「熊の皮また少し持って来たます。」
「熊の皮か。この前のもまだあのまゝしまってあるし今日ぁまんついゝます。」
「旦那さん、そう云はなぃでどうか買って呉んなさぃ。安くてもいゝます。」
「なんぼ安くても要らなぃます。」主人は落ち着きはらってきせるをたんたんとてのひらへたゝくのだ、あの豪気な山の中の主の小十郎は斯う云はれるたびにもうまるで心配さうに顔をしかめた。何せ小十郎のとこでは山には栗があったしうしろのまるで少しの畑からは稗がとれるのではあったが米などは少しもできず味噌もなかったから九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内にもって行く米はごくわづかづゝでも要ったのだ。
里の方のものなら麻もつくったけれども、小十郎のとこではわづか藤つるで編む入れ物の外に布にするようなものはなんにも出来なかったのだ。小十郎はしばらくたってからまるでしわがれたような声で云ったもんだ。
「旦那さん、お願だます。どうが何ぼでもいいはんて買って呉なぃ。」小十郎はさう云ひながら改めておじぎさえしたもんだ。
主人はだまってしばらくけむりを吐いてから顔の少しでにかにか笑ふのをそっとかくして云ったもんだ。
「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろぢゃ。」店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出した。小十郎はそれを押しいたゞくやうにしてにかにかしながら受け取った。それから主人はこんどはだんだん機嫌がよくなる。
「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ。」
小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしてゐる。主人はゆっくりいろいろ談す。小十郎はかしこまって山のもやうや何か申しあげてゐる。

 つまり、小十郎は旦那との間で商品の売買(毛皮と金銭の「交換」)をする場面になると、途端にみじめになってしまうのです。
 そして、このような商取引に対する嫌悪感のあまり、思わず作者は「僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないやうないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない」と、わざわざ出てきてコメントせずにいられなかったのでした。

 これに対して、小十郎と熊たちが山の中で行っている命のやり取りは、何の見返りも期待しない「純粋贈与」です。小十郎は熊を仕留ると、その傍らで「熊。おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ……」と語りかけますが、すでに死んだ熊に対しては、何の返礼もできません。熊の方でも、「もう二年ばかり待って呉れ」と言った個体などは、ちょうど二年後に小十郎の家の前で自ら死んでいたのです。
 そして小十郎は、ある日熊に襲われて殺され、その夜には輪になった熊たちに囲まれて見送られました。しかし結局、熊との間で何も「交換」したことはありませんでした。

 ということで、「なめとこ山の熊」においても、賢治は「(商品)交換」には嫌悪感を示す一方、小十郎と熊の間で行われる、恐ろしくも美しい「純粋贈与」の世界を描いたのです。(小十郎と熊の間の「贈与」については、以前に「命の対等な贈与」という記事にも書きましたので、ご参照下さい。)

 上記以外にも賢治は、「〔手紙 一〕」で自分の体を人間や虫に与える竜や、「銀河鉄道の夜」のさそりや、「グスコーブドリの伝記」のように、いわゆる「自己犠牲」という形で、自らを無償で他者に贈与するという物語を、いろいろ書いています。このような行為の背景には、自らが抱える罪責感を浄化するために自己をこの世から消し去る「焼身」という衝動を読みとることもできるでしょうが(たとえば見田宗介『宮沢賢治─存在の祭の中へ』)、なぜか「交換」を好まず「贈与」を偏愛する賢治の基本的な性向も、ここに見いだすことができるように思います。

 前述のように、賢治は質屋の店番をする際にも、妥当な価値を見積もって「交換」するのではなく、相手が必要なだけを「贈与」してしまうような人だったわけですが、いくら賢治が貧しい人々に同情的だったと言っても、家業がつぶれてもよいと思って意図的にそういう活動をやっていたわけではないでしょう。これは理屈の問題ではなくて、なぜか「交換」は苦手で、できることなら「贈与」をしたいというのが、賢治という人の基本的なエートスだったのだろうと思います。
 それでは賢治はなぜ、自らこういう行動をとってしまい、また作品にもそういった出来事を描きつづけたのでしょうか。

 マルクスによれば、ある対象物が有する「商品としての価値」は、そこに投入された抽象的人間労働の量によって決まるということです。ですから商品を適切な価値の金品と「交換」するためには、その品物を個別的・具象的に見るのではなく、抽象を行う目で見る必要があるでしょう。それは、その商品に投入された労働の量を、普遍的な尺度によって数値化をする眼差しです。
 たとえば、農家の女性が一枚の晴着を持って質屋にやって来たとしたら、実はその着物は嫁入りの時に親が無理をして持たせてくれたものだったとか、子供のお宮参りの時に着た思い出の一着だなどということは捨象して、その着物の生地や仕立や経年劣化の程度について、努めて客観的に判定をする必要があります。

 そして賢治の父の政次郎は、こういう資質においてはとにかく抜きん出た人だったようです。若くして家業を任されると、質屋の業績を堅実に伸ばしただけでなく、遠く近畿・中国・四国地方にまで出張して、花巻で売れそうな古着を大量に買い付けて来ては売りさばき、宮澤商店を飛躍的に発展させたのです。株の取引にも「鬼才」を発揮し、「私が仏教を知らなかったら三井・三菱くらいにはなれましたよ」と小倉豊文氏に語った言葉は有名です。

 一方その息子は、この父親とはまるで正反対で、賢治にとってある対象をとらえるということは、それが持つ個別性・具象性の側面を、あるいは寮美千子さんの言葉をお借りするならば「それぞれの固有さから発する存在の輝き」を、全身全霊をもって感受することだったのです。このような対象の性質は、数字で表せるようなものではない一方で、彼の詩や童話を読めば、その「輝き」が立ちのぼってきます。

 ただ、こういう感性ばかりが先に立ってしまうと、世知辛い世の中を生きていくのは、さぞかし大変だったろうと思います。実際に賢治もいろいろと苦労をして、人より恵まれた環境に生まれたくせに、いったい何を甘えたことばかりしているのだとも言われてきました。
 それでも、彼が残した物語──その世界では人と人との関わりが、あるいは人と動物との関わりが、「交換」よりも「贈与」によって成り立っている──は、今を生きる私たちが既にすり減らしてしまった感覚を、ありありと蘇らせ、力を与えてくれるように思います。それこそが、賢治の作品が放つ魅力の、大きな要素の一つだとも言えるでしょう。

 いま私たちは、「商品交換」にがんじがらめに囚われつつ生きていますが、柄谷行人氏が『世界史の構造』(2010)から『力と交換様式』(2022)に至る一連の著作において、「商品交換」が支配するこの時代の次には、また「贈与と返礼」に基づく「交換様式D」が回帰するのだと言っておられるのは、夢のように不思議な感じがします。その暁には、賢治が描いた世界が、何かの道標になることもあるのでしょうか。

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柄谷行人『世界史の構造』より