滝廉太郎「隅田川」

1.歌曲について

 賢治が遺した「文語詩未定稿」の中に、「隅田川」という作品があります。私は以前からこの詩を読むたびに、滝廉太郎のあの名作「♪ 春のうららの~、隅田川…」という歌曲「花」が、頭のなかで重なり合ってしょうがなかったのです。
 舞台はいずれも春の隅田川、その川べりの堤には、桜が満開です。そして何よりも、賢治の「隅田川」の詩は、滝廉太郎のメロディーにぴったりと乗せて歌えてしまうではありませんか。

 私は一時は、賢治はこの詩を意図的に、滝廉太郎「花」のパロディーとして作ったのではないかとさえ、考えてみました。舞台設定はまったく同一ですが、「花」の方は、あくまで春らしい初々しさとすがすがしさにあふれ、鮮やかな桜の色まで目に浮かんできそうです。これに対して賢治の「隅田川」では、川の水は淀み陽はどんより、桜の色も蒼ざめて、登場する人物といえば、泥洲で変な踊りに興ずる酔っぱらい、そしてそれをしらけて眺める青年……。
 「花」に比べると、これはまるで悪い夢でも見ているような景色です。

 しかし、これを賢治がわざと「花」の陰画として作詞したというのは、やはり考えすぎなのでしょう。文語体による韻律が、(七+五)×四行 になっているというだけのことで、賢治の文語詩にはありふれた形式にすぎません。
 それでも、これはこれでちょっと面白いかと思いましたので、滝廉太郎オリジナルの女声二部合唱およびピアノ伴奏に乗せて演奏してみたのが、下のファイルです。歌声は、VOCALOID の Meiko にコーラスのエフェクトをかけています。


関豊太郎博士 さて、この作品に登場する酔っぱらいはいったい誰かというと、これは盛岡高等農林学校の元教授、関 豊太郎 博士(右写真)です。関博士は、賢治にとって学問上の唯一最大の恩師で、博士の方も賢治在学中から卒業後にわたって、この優秀な教え子を可愛がり、何かと面倒を見ました。他の学生にとっては、学校でいちばん気難しく扱いにくい教授でしたが、賢治が行くと、相好をくずして迎えるほどだったと言います。
 博士は賢治を自分のもとで研究生にした後、将来は助教授にしたいと望んでいたようですが、これは賢治の家の事情と、抑えがたい宗教的熱情のために実現しませんでした。しかし、晩年の賢治が東北砕石工場の嘱託技師になったのも、もとはと言えば関博士が石灰岩抹による土壌改良を持論としていたことの影響ですし、技師に就任するにあたって賢治は、わざわざ関博士に手紙を出して意見を求めています。

 このような美しい師弟愛に結ばれた博士と賢治でしたが、賢治にとってはどうしても苦手な、博士の一面がありました。それは、博士がかなり酒癖が悪かったことです。
 「〔夜をま青き藺むしろに〕」(『文語詩稿 五十篇』)は、1920年8月大迫町石川旅館における稗貫郡土性調査の慰労宴の情景をもとにしたものですが、その「下書稿(一)」である「土性調査慰労宴」では、居並ぶ町長、村長、郡技手などを前にした主賓の様子が、「酔ひて博士の難しく・・・」と描かれています。賢治はと言えば、「わが酒呑まず得酔はねば・・・」という状況で、その座にいることにも閉口しているようです。
 そんな博士から、花見に行こうと誘われた賢治は、昔を思い出すとちょっと複雑な気持ちだったかもしれません。


 花見の舞台は、「隅田川」という作品の原型をたどることで推測できます。この文語詩は、「歌稿〔B〕」の、「雲ひくく 桜は青き夢の列 汝は酔ひしれて泥洲にをどり。」(810)および、「汝が弟子は酔はずさびしく芦原にましろきそらをながめたつかも」(811)という二首の短歌が改作されたものでした。歌稿における前後関係から、これは1921年4月、賢治が家出をして東京にいた頃の出来事と推定されます。
 この頃、関博士は東京西ヶ原にある国立農事試験場の嘱託を務めていました。東京で一人暮らしをしていた賢治は、農事試験場(現在は北区西ヶ原2丁目の滝野川公園)に恩師を訪ね、また何度か近くの博士の自宅(現在は北区西ヶ原3丁目の区立飛鳥中学)にも行ったことが、博士の回想に記されています。博士の娘の記憶によれば、この頃に賢治らしき人物が「よく父を訪ねて見えると、自分がいつも取りつぎに出、父はいつも機嫌よく迎えては夕めしを食べて行く様にいっては精進料理を父が申し付けた」(奥田弘『宮沢賢治 研究資料探索』)ということです。
 賢治が関博士のところを何度も訪ねるうちに、花見の計画が持ち上がったのではないでしょうか。

 お花見で一杯飲んだ博士は、例によって酔っ払ってしまい、しかし愛弟子がはるばる訪ねてきてくれた嬉しさか、土性調査慰労宴の時のように「難しく」はならなかったのですが、ただ困ったことに、一人で踊りだしてしまったのです。「泥洲」という言葉が、「泥酔」というイメージを喚起せずにはおきません。
 取り残された賢治は、ぽつねんと空を眺めています。花巻でさぞ心配しているであろう母親のことを思い(「母をはるけき・・・」)、家出までしてきた自分は、こんなところでいったい何をしているのだろうと、自問したかもしれません。

 賢治24歳の春のことでした。

2.演奏

3.歌詞

水はよどみて日はけぶり
桜は青き 夢のつら
は酔ひれてうちおどる
泥洲の上に うちおどる

母をはるけき  なが弟子は
酔はずさびしく そらを見る
その芦生への  芦に立ち
ましろきそらを  ひとり見る