∮∬

「渥美をさして」短歌銘板

p_172.jpg

1.テキスト

宮沢賢治(二十歳)が渥美を詠んだ歌

そらはれて
くらげはうかび
わが船の
渥美をさして
うれひ行くかな

「農民芸術概論綱要」より

おれたちはみな農民である
ずいぶん忙しく仕事もつらい
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識して
これに応じて行くことである

         宮沢賢治

      この銘板は、宮沢賢治を
      敬愛する人より寄贈されたものです

2.出典

「歌稿〔B〕」261

「農民芸術概論綱要」序論より

3.建立/除幕日

2025年(令和7年)3月1日 お披露目

4.所在地

愛知県田原市田原町汐見5 田原市中央図書館外壁

5.碑について

 この銘板を匿名で寄贈された方は、これまで賢治の歌が刻まれた全国の碑を訪ねてこられたということですが、愛知県内には見当たらないのが気になり、運転免許の返納を機に、車の買い換えや燃料費として貯めていたお金を充てて、田原市の図書館に贈られたのだそうです。
 銘板の形は、波や宇宙をイメージしたデザインだということで、賢治が1916年(大正5年)3月の修学旅行の帰途で、鳥羽港から蒲郡港に渡る汽船に乗った際に詠んだ短歌と、「農民芸術概論綱要」の一節が記されています。
 お披露目が行われた2025年3月1日には、設置を記念して図書館ボランティアの方々による「宮沢賢治のおはなし会」が開かれ、紙芝居や朗読や歌が上演されたということです。

 愛知県を題材とした賢治の作品というのは、確かに少ないようですが、この短歌も含めた次の三つがあります。

261 そらはれて
くらげはうかび
わが船の
渥美をさしてうれひ行くかな。

262 明滅の
海のきらめき しろき夢
知多のみさきを船はめぐりて。

263 蒼溟の
ひかりはとはに明滅し
ふねはまひるの
知多をはなるる。

 下の地図のように、賢治が「➀鳥羽」から乗船した汽船は、「➁二見」を経て、伊勢湾対岸の知多半島先端にある「③師崎」に寄港し、次いで知多半島と渥美半島の中間部に浮かぶ「④篠島」を経て、渥美半島の「⑤福江」に寄り、終着の「⑥蒲郡」に至るという航路をとったようです。

 船は当初は眼前に渥美半島を指して進むので、まず261では「渥美をさして」と詠われ、対岸ではまず知多半島に寄港するので、262「知多のみさきを船はめぐりて」、263「ふねはまひるの知多をはなるる」と続くのかと思われます。

 当時は、東日本から伊勢神宮に参拝するには、東海道線で名古屋を回って行くよりも蒲郡から志摩半島へ船で渡る方が、時間も運賃も格段に節約でき、また伊勢湾の海上は風光も明媚で、人気の航路だったようです。
 賢治の短歌でも、「そらはれて/くらべはうかび」、「海のきらめき」、「ひかりはとはに明滅し」など、明るく美しい情景が印象的です。

20250323d.jpg
田原市中央図書館