「牛」歩道プレート

1.テキスト

(1) 宮澤賢治が花巻農学校教師時代
  修学旅行で引率宿泊の地
 富士館旅舎
 ←―
  1924(大正13年) 5.21 泊

(2) 宮澤賢治は
  太平洋の潮騒に誘われ
  ここから前浜に向って
   歩き始めた
  そして「牛」の詩が
    生れた   ゆうべあ
             幸康

(3)    牛     宮澤賢治
  一ぴきのエーシャー牛が
  草と地靄に角をこすってあそんでゐる
  うしろではパルプ工場の火照りが
  夜なかの雲を焦がしてゐるし
  低い砂丘の向ふでは
  海がどんどん叩いてゐる
  しかもじつに掬っても呑めさうな
  黄銅いろの月あかりなので
  牛はやっぱり機嫌よく
  こんどは角で柵を叩いて遊んでゐる

(4)    海鳴り   宮澤賢治
  あんなに強くすさまじく
  この月の夜を鳴ってゐるのは
  たしかに黒い巨きな水が
  ぢきそこらまで来てゐるのだ
     ……うしろではパルプ工場の火照りが
     けむりや雲を焦がしてゐる
  砂丘の遠く見えるのは
  そんな起伏のなだらかさと
  ほとんど掬って呑めさうな
                 (六の一)

(5) 黄銅いろの月あかりのためで
  じつはもう
  その青じろい夜の地靄を過ぎるなら
  にわかな渦の音といっしょに
  巨きな海がたちまち前にひらくのだ
     ……弱い輻射のにぶの中で
     鳥の羽根を焼くにほひがする……
  砂丘の裾でぼんやり白くうごくもの
  黒い丈夫な木柵もある
     ……あんなに強く雄々しく海は鳴ってゐる……
  それは一ぴきのエーシャ牛で
                 (六の二)

(6) 草とけむりに角を擦ってあそんでゐる
     ……月の歪形 月の歪形……
  草穂と蔓と、みちはほのかに傾斜をのぼり
  はやくもここの鈍い砂丘をふるはせて
  海がごうごう湧いてゐる
  じつに向ふにいま遠のいてかかるのは
  まさしくさっきの黄いろな下弦の月だけれども
  そこから展く白い平らな斑縞は
  湧き立ち湧き立ち炎のやうにくだけてゐる
  その恐ろしい迷ひのいろの海なのだ
                 (六の三)

(7) はるかにうねるその水銀を沸騰し
  しばらく異形なその天体の黄金を消せ
  漾ふ銅のアマルガムをも燃しつくし
  青いイオンに雲を染め
  はるかな過去の渚まで
  真空の鼓をとどろかせ
  そのまっくろなしぶきをあげて
  わたくしの胸をおどろかし
  わたくしの上着をずたずたに裂き
  すべてのはかないのぞみを洗ひ
                 (六の四)

(8) それら巨大な波の壁や
  沸きたつ瀝青と鉛のなかに
  やりどころないさびしさをとれ
  いまあたらしく咆哮し
  そのうつくしい潮騒えと
  雲のいぶし銀や巨きなのろし
  阿僧祗の修陀羅をつつみ
  億千の灯を波にかかげて
  海は魚族の青い夢をまもる
                 (六の五)

(9) 伝教大師叡山の砂つちを掘れるとき
     ……砂丘のなつかしさとやはらかさ
     まるでそれはひとりの処女のようだ……
  はるかなはるかな汀線のはてに
  二点のたうごまの花のやうな赤い灯もともり
  二きれひかる介のかけら
  雲はみだれ
  月は黄金の虹彩をはなつ
                 (六の六)

(10) いまあたらしく咆哮し
  そのうつくしい潮騒えと
  雲のいぶし銀や巨きなのろし
  阿僧祗の修陀羅をつつみ
  億千の灯を波にかかげて
  海は魚族の青い夢をまもる
        宮澤賢治 苫小牧で詠んだ「海鳴り」より

2.出典

牛(下書稿(三)」(『春と修羅 第二集』)
牛(下書稿(一)手入れ」(原題「海鳴り」)

3.建立/除幕日

2006年(平成18年)12月 敷設

4.所在地

北海道苫小牧市 駅前本通り

5.プレートについて

 上のプレート(1)にも記されているように、賢治は1924年5月21日、花巻農学校の教師として修学旅行の生徒を引率し、苫小牧を訪れました。賢治が書いた「修学旅行復命書」のこの夜の箇所には、「八時苫小牧に着、駅前富士館に投ず。パルプ工場の煙赤く空を焦し、遠く濤声あり。」と記されています。
 この遠い「濤声」に誘われてか、夜遅くに一人旅館を出た賢治は、現在の「駅前本通り」を南に歩いて、海岸に出ます。太平洋の巨大な「海鳴り」に向き合って、賢治の心には「やりどころないさびしさ」――それはおそらく前年の「オホーツク挽歌」にも通じる――が去来します。一方、陸に目を転ずると、当時の「中村牧場」で飼われていた一頭の牛が、月の光の下で無邪気に遊んでいました。
 この時の体験をもとに、「」(『春と修羅 第二集』)という作品が生まれました。その「下書稿(一)」には、荒々しい海の情景とともに自らの心の葛藤が書きつけられていましたが、「下書稿(三)」になると、そのような部分は削られて、のどかな牛の描写だけになります。

 この時の賢治の苫小牧訪問を、街の活性化に役立てようと、「苫小牧の街づくりを考える会ゆうべあ」は、JR苫小牧駅周辺の商店街振興組合や大型店・苫小牧商工会議所などでつくる「駅中心活性化プロジェクト」と協力して、2006年末に駅前本通りの歩道に、賢治の作品「牛」やその下書稿である「海鳴り」を刻んだプレートを埋め込みました。プレートは歩道の両側にわたって全部で10枚あり、駅から海に向かって歩きながら、この10枚を探してみるというのも、宝探しのように楽しめます。
 「苫小牧の街づくりを考える会ゆうべあ」では、毎年5月21日を「とまこまい賢治の日」と名づけて、毎年この日を中心に、当時の賢治の足跡をたどる「賢治ウォーク」などのイベントを企画しているということです。


駅前本通りの歩道プレート