「生徒諸君に寄せる」詩碑

1.テキスト

生徒諸君に寄せる
                宮沢賢治

 諸君はこの颯爽たる

  諸君の未来圏から吹いて来る

   透明な清潔な風を感じないのか

2.出典

生徒諸君に寄せる」より(「詩ノート付録」)

3.建立/除幕日

1996年(平成8年)8月23日 建立/8月30日 除幕

4.所在地

盛岡市上田3-2-1盛岡第一高校

5.碑について


 盛岡第一高校の前身である旧制盛岡中学は、宮澤賢治の母校です。

 賢治は羅須地人協会時代の1927年12月に、「銀河鉄道の一月」「奏鳴四一九」という二つの作品を、盛岡中学校友会雑誌に「冬二篇」と題して発表しました。しかし、上記の「生徒諸君に寄せる」の草稿には、「一九二七年に於ける/盛岡中学校生徒諸君に寄せる」と書かれており、当初はこちらの方を発表しようとしていたのだろうと推測されます。
 なんらかの理由で、この作品は断片的なメモのような形のままで残されました。

 盛岡中学時代の賢治は、さして勉強もせず、ふてくされたような学生生活を送っていた時期もあったようですが、後に盛岡高等農林学校に入学してから、山梨県から来た一年後輩の保阪嘉内を案内して、中学の校舎を再訪しました。嘉内が日記に、「宮沢氏と盛岡中学のバルコンに立ちて天才者啄木を憶ひき夕日赤し」と記しているところです。
 二人がバルコニーで思ったのは、14年前に盛岡中学を退学となった石川啄木の、「盛岡の中學校の/バルコンの/欄干(てすり)に最一度(もいちど)われを倚らしめ」という短歌です。

 この「生徒諸君に寄せる」の石碑は、盛岡第一高校構内の「白堊記念会館」(下写真)という建物の前にあります。おそらく「白堊城」という愛称を持つ旧制盛岡中学の校舎は、ちょうどこの記念会館のような、白壁の建物だったのでしょう。
 そして、その昔に啄木が立ち、その後賢治や嘉内が立った「バルコン」も、下の写真に見られるようなものだっただろうかと想像してみます。


盛岡第一高校 白堊記念会館