今日は、先月の宮沢賢治学会夏季セミナー「賢治文学の奏でるうた」で使用したスライドを、いくつか紹介させていただきます。
私が担当した基調報告「宮沢賢治と音楽」では、(1)「賢治の音楽体験と歌曲創作」、(2)「賢治作品における「語り」と「歌」の連続性」、という主に二つの話題について、お話をしました。

賢治の作品や生涯/ハイパーリンクされた詩草稿/賢治の歌曲/全国の文学碑…
今日は、先月の宮沢賢治学会夏季セミナー「賢治文学の奏でるうた」で使用したスライドを、いくつか紹介させていただきます。
私が担当した基調報告「宮沢賢治と音楽」では、(1)「賢治の音楽体験と歌曲創作」、(2)「賢治作品における「語り」と「歌」の連続性」、という主に二つの話題について、お話をしました。
1.ヒデリノトキ
今年の夏は、日本最高気温の記録が二度も更新されるなど、全国的に未曾有の猛暑となっていますが、実は盛岡市の最高気温も、今年101年ぶりに「史上タイ記録」が観測されました。
これまで盛岡市の最高気温の記録は、1924年7月12日に観測された「37.2℃」だったのですが、先日8月3日にも、同じ「37.2℃」を記録したのです。
下に、気象庁のサイトをもとにして、盛岡市の最高気温の歴代5位までを、グラフにしてみました。5位までのうち3つが今年の記録で、いかに今年が猛暑かということがわかりますが、しかしその一方で、101年間首位を守っている「1924年」という年も、相当なものではないでしょうか。
盛岡市最高気温ベスト5
まだ「地球温暖化」などという概念さえなかった101年も昔にあって、今年の暑さと同気温を記録した1924年とは、いったいどんな年だったのでしょうか。
盛岡駅からほど近く、北上川に架かる開運橋の東のたもとに、「開運橋の歴史」と題された説明板が立てられています。
その冒頭には、賢治の下記の短歌と説明が記されています。
そら青く
開うんばしの
せとものの
らむぷゆかしき
冬をもたらす宮沢賢治
この短歌は宮沢賢治が二
代目開運橋の袂に設置さ
れた瀬戸物製のランプを
眺め詠んだものです。
去る7月30日に、今年度第35回の宮沢賢治賞・イーハトーブ賞が、花巻市から発表されました。(花巻市による広報記事)
受賞者は、下記の方々です。
7月26日の賢治学会夏季セミナーが終了すると、イーハトーブ館からみんなでバスに乗り、懇親会会場のマルカンビル大食堂に移動しました。夜の7時頃になると、ビル6階の窓からは、鮮やかな夕焼け空が見えました。
昨日から賢治学会の夏季セミナーで花巻に行っていましたが、やはりイーハトーブの地でも、「暑いですねぇ……」がお決まりの挨拶になっていました。
花巻市や北上市に農業用水を供給する豊沢ダムは、最近の高温と少雨の影響で貯水量が平年の半分程度の30%まで下がり、7月23日から農業用水の供給を停止するなど、渇水対策を行うとのことです。
賢治の時代ならば、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」となる事態でしょう。現代でも、農家の方々にとっては死活問題でしょうし、消費者にとってもまた米や野菜の価格高騰が心配されます。
しかしこの渇水のおかげで、花巻市小舟渡の「イギリス海岸」は、久しぶりに河床の泥岩層が広く露出することになりました。
音楽学者の小泉文夫氏(1927-1983)が用いた概念で、「エンゲ・メロディー型」の旋律というのがあります。これは定義としては、一つだけの核音(nuclear note)を持つ旋律ということですが、日本の伝統音楽の中で具体的には、「わらべ唄」や「子守歌」に見られるような、「二音旋律」または「三音旋律」など、ごく単純な旋律を指すことが一般的です。
「二音旋律」のわらべ唄として、小泉氏は次の例を挙げておられます。これは、「ド」と「レ」の二つの音だけから成っています。
花いちもんめ
旧版の『校本宮澤賢治全集』は、「賢治が残した草稿を(走り書き的なメモに至るまで)全て掲載する」という画期的な方針のもとに徹底的な草稿調査を行い、様々な新たな発見も加わった結果、多くの作品において、従来の全集のテクストから大きな変更が行われました。
この際の変化に比べると、『校本全集』から『新校本全集』に改訂された際のテクストの変更は、まだしも小規模なものだったのですが、ただ「歌曲」の項目においては、『新校本全集』において相当に大幅な変更が行われました。
収録曲数が、『校本全集』の21曲から、『新校本全集』では27曲へと、大きく増えたこともありますし、「替え歌」の「原曲」が新たに発見されたことによって、楽譜が全く変更された曲もありました。
さらに、「曲名」が変更された曲も、次のように6曲ありました。
博愛主義で殺生を嫌った宮沢賢治のイメージからすると、「軍歌」などというのはかなり不似合いな感じですが、少年時代の賢治は、けっこう好んで軍歌を歌っていたようです。
妹シゲの回想録『屋根の上が好きな兄と私』には、盛岡中学時代の賢治の次のようなエピソードが記されています。
兄は声が良かったかもしれません。それとも或る感情を込めて歌う節まわしが良かったのでしょうか。何か引き付けられる歌い方でした。
中学生になった始め頃、 冬休みに帰省した時、祖父や両親や私たち姉妹が久しぶりの兄を囲んで炬燵に当たっていました。
兄は「軍歌を歌うっか。」と言い、初めに歌ったのが「戦友」です。
ここはお国を何百里 離れて遠き満州の……あの歌でした。皆んなシーンとして聞きました。途中でおじいさんはタラタラ涙をこぼしました。(蒼丘書林『屋根の上が好きな兄と私』p.11)
来たる7月26日(土)の13:30から、花巻市の宮沢賢治イーハトーブ館において、宮沢賢治学会イーハトーブセンター主催の夏季セミナー「賢治文学の奏でるうた─どこから来て、どこへ向かうのか─」が開催されます。
下記がその内容で、賢治学会のサイトではこちらのページに、案内が掲載されています。