螺旋のスケルツォ

 先日掲載した「五がつははこだてこうえんち」の中に、「螺のスケルツォ」という言葉が出てきますが、これはいったい何なのでしょうか。

夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼、
サミセンにもつれる笛や、
繰りかへす螺のスケルツォ

 「セロ弾きのゴーシュ」の草稿欄外には、「猫のアベマリア」「かくこうのドレミファ」「狸の子の長唄」「鷺のバレー」などと、動物たちが奏でる音楽が並べられていて面白いですが、「螺のスケルツォ」となると、ひょっとして小さな貝がスケルツォを演奏するのでしょうか?

 そこで、こういう謎にぶつかった場合の常として、原子朗さんの『定本 宮澤賢治語彙辞典』を調べてみると、「スケルツォ」の項目には次のような説明があります。

 スケルツォ 【音】scherzo(伊) 諧謔曲。従来、交響曲等の第三楽章に用いられていたメヌエットの代わりに、ベートーヴェンが好んで使った技法。快活な曲。詩[凾館港春夜光景]に、浅草オペラをイメージして「夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼、/サミセンにもつれる笛や、/繰りかへす螺のスケルツォ」とある。「にし」(音はラ)は殻が左巻きの貝の総称で、上にくりかえすがあるゆえ、さんざめく夜景からスケルツォのリズムの繰り返しを貝殻の左巻きにたとえたもの。サミセンは三味線(シャミセンの誤記ではない)。

 「にし」は「巻貝」のことで、「にし」や「法螺ほら」などで馴染みがありますが、『語彙辞典』に「殻が左巻きの貝の総称」とあるのは、ちょっとよくわかりません。
 一般に、巻貝の「巻き」の向きは、種によって遺伝的に決まっているということですが、右巻きの種がほとんど(9割)だということで、田螺も法螺貝も基本的には右巻きです。また「漢字ペディア」で「」の字を調べても、意味の①に「巻貝の総称」とあります。
 「にし」が「左巻きの貝の総称」というのは何かの間違いで、右巻きであろうと左巻きであろうと、「巻貝=螺」なのです。

 それはともかく、「螺のスケルツォ」に対する『語彙辞典』の解釈は、「左巻き」の点を除けば、「スケルツォのリズムの繰り返しを、貝殻の巻きにたとえたもの」ということになり、これはこれで理解できます。スケルツォもメヌエットのように、舞曲がルーツにありますから、その内容はグルグル繰り返されることが多く、たしかに巻貝が渦を巻いているようにも思えます。
 例として、下の動画をクリックしていただくと、ベートーヴェンの交響曲第9番のスケルツォ(ベーム指揮・ウィーンフィル)が再生されます。9小節目から、第二ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロ→第一ヴァイオリン→コントラバスと、順に同じモチーフがフーガのように導入されていき、さながら渦を巻いているようです。

 ですから、このような繰り返しを巻貝の形に喩えるというのは、それなりに一理ある解釈だと思います。ただそれにしても、これをいきなり「螺のスケルツォ」と表現するのはかなりの飛躍で、唐突な感じは否めません。
 そこで、「巻貝のスケルツォ」とか何とか、もう少しこの賢治の言葉に近い名前の曲が実際にないものかと思って、〝conchiglia scherzo〟、〝conch scherzo〟、〝snail scherzo〟などという言葉を適当にいろいろ検索してみたのですが、そういう曲は見つかりませんでした。
 一方、「漢字ペディア」で「」の意味の②には、「渦巻き形のもの。螺旋。」とあることから、「螺旋のスケルツォ」という曲がないかと調べてみると、これが何と存在したのです。

 フランスのフルート奏者・作曲家の、ヨハネス・ドンジョン(1839-1912)が作曲した、〝Spirale Scherzo-Valse〟という曲です。〝Spirale〟はイタリア語の「螺旋」で、英語では「スパイラル」ですね。日本語タイトルを付けるなら、「螺旋のスケルツォ・ワルツ」でしょうか。
 YouTubeに、イタリアのマウロ・スカッピーニというフルーティストによるこの曲の演奏があったので、下に載せておきます。

 螺旋階段をグルグル昇っていって、またグルグルと降りてくるような、動的で気持ちのよい曲です。中間部の、Sonore(よく響かせて)という発想記号の付いた部分は、より優雅な感じで、こちらは「ワルツ」の雰囲気です。
 作曲者のドンジョンは、パリオペラ座管弦楽団やパリ音楽院管弦楽団でフルートの首席を務めていたという人で、この曲を含めてサロン小品的なフルート曲を、多数残しています。私もはるか昔の学生時代に、「エレジー」などの曲を吹いてみた覚えがあります。
 この〝Spirale〟をドンジョンがいつ作曲したのか、具体的な年はわかりませんでしたが、1912年に没していますので、賢治が浅草オペラを視聴した頃には、既に存在した曲であることは確かです。

 では、賢治が実際にこの「螺旋のスケルツォ・ワルツ」という曲を、浅草オペラなりSPレコードなりで耳にしたことがあったのかどうか、ということが問題ですが、率直に言うと、その可能性は低かったのではないかと思います。面白い曲ではありますが、さほど有名でもない作曲家の小品にすぎず、当時の日本に紹介されていたとは期待しにくいでしょう。

 したがって、賢治が「凾館港春夜光景」に書いている「螺のスケルツォ」が、ドンジョンのこの曲を指しているのだという仮説の蓋然性も、かなり低いものと言わざるをえません。やはり『宮澤賢治語彙辞典』の解釈から「左巻き」を除いたあたりが、無難なところでしょうか。
 ただ、「螺のスケルツォ」の前の行に出てくる「もつれる笛」という表現は、このドンジョンの曲でクネクネと休みなく上下するフルートの旋律に、不思議に当てはまる感じもするのです。

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