宮澤賢治の作品は幻想的であるとよく言われますが、そもそも文学が「幻想的である」というのは、いったどういうことなのでしょうか。
この一見とらえどころのない問題について、理論的なアプローチを行っているのが、ツヴェタン・トドロフという人の『幻想文学論序説』です。
幻想文学論序説 (創元ライブラリ) 文庫 ツヴェタン・トドロフ (著), 三好 郁朗 (翻訳) 東京創元社 (1999/9/16) Amazonで詳しく見る |
本書におけるトドロフの定義によれば、「幻想とは、自然の法則しか知らぬ者が、超自然と思える出来事に直面して感じる『ためらい』のことなのである」というのです。(p.42)
上の文だけを読むと、何かよくわからない感じですが、もう少し後の箇所では、これがより詳しく説明されています。
いまやわれわれは、幻想についてのわれわれの定義をさらに明確にし、補正することができる。幻想とは三つの条件が満たされることを要求する。まず第一に、テクストが読者に対し、作中人物の世界を生身の人間の世界であると思わせ、しかも、語られた出来事について、自然な説明をとるか超自然的な説明をとるか、ためらいを抱かせなければならない。第二に、このためらいは、作中の一人物によって感じられていることもある。その場合、読者の役割が当の作中人物に、いわば委ねられているのであって、同時に、ためらいもまたテクスト内に表象されることとなる。つまり、作品のテーマの一つとなってくる。そして、ごく素朴な読み方がされる場合、現実の読者はそうした作中人物と同一化するのである。最後に、読者がテクストに対して特定の態度をとることが重要である。すなわち、読者が、「詩的」解釈も「寓意的」解釈も、ともに拒むのでなければならない。(pp.53-54)
すなわち読者が、生身の人間の世界を思わせる作品中の出来事について、それを自然な現象として理解すべきか、あるいは超自然的な現象と捉えるべきか、躊躇する状況に置かれてしまうのが、幻想文学だというわけです。
このような観点から見ると、たしかに賢治の一部の作品は「幻想的」です。
たとえば「風の又三郎」では、村の小学校に転校してきた風変わりな少年高田三郎が、超自然的な風の精霊「風の又三郎」なのか、それとも普通の人間の子供にすぎないのかという問題が、村の子供たちを、そして読者をも惑わせます。
読者にこのような「ためらい」を誘うための賢治の設定は入念で、物語はごく写実的に村の子供たちの生活を描き、その会話も生き生きとした方言で記され、そこにはまさに「生身の人間」がいるようです。その一方で、不思議な転校生は「をかしな赤い髪の子供」で「変てこな鼠いろのだぶだぶの上着を着て白い半ずぼんをはいてそれに赤い革の半靴をはいて」おり、その登場からして異質性が際立っています。
その転校生の名前が「三郎」だと先生が言った時の、子供たちの反応も鮮やかです。
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手を叩いて机の中で踊るやうにしましたので、大きな方の子どもらはどっと笑ひましたが三年生から下の子どもらは何か怖いといふ風にしいんとして三郎の方を見てゐたのです。
嘉助は、「九月四日」に逃げた馬を追って深い山奥に迷い込んだ時に、又三郎がガラスのマントを光らせて空に飛び立つ夢?を見たこともあってか、高田三郎が精霊「風の又三郎」だとほとんど確信し、また低学年の子供たちもそう感じて怖がっています。一方、最年長である六年生の一郎は、冷静に判断を保留しているようですが、しかしその一郎も、最終日の「九月十二日」にひどい風の朝を迎えると、風の又三郎が飛び去って行ってしまうかもしれないと気が気でなく、早く学校に行きたくてたまりません。
「一郎、いまお汁できるから少し待ってだらよ。何して今朝そったに早く学校へ行がなぃやなぃがべ。」
お母さんは馬にやる〔一字空白〕を煮るかまどに木を入れながらききました。
「うん。又三郎は飛んでったがも知れなぃもや。」
「又三郎って何だてや。鳥こだてが。」
「うん又三郎って云ふやづよ。」
何も知らないお母さんが、又三郎が飛んでいったかもしれないと聞いて、「又三郎って鳥なの?」と聞くのが面白いですが、こういう何気ない細部のリアルな描写が、対照的にその背後の幻想性を際立たせます。
急いで家を出た一郎は、嘉助を誘って学校に着き、そして物語は下記のように終わります。
「先生お早うございます。」一郎が云ひました。
「先生お早うございます。」嘉助も云ひましたが、すぐ
「先生、又三郎今日来るのすか。」ときゝました。先生はちょっと考へて
「又三郎って高田さんですか。えゝ、高田さんは昨日お父さんといっしょにもう外へ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです。」「先生飛んで行ったのすか。」嘉助がききました。「いゝえ、お父さんが会社から電報で呼ばれたのです。お父さんはもいちどちょっとこちらへ戻られるさうですが高田さんはやっぱり向ふの学校に入るのださうです。向ふにはお母さんもおられるのですから。」
「何して会社で呼ばったべす。」一郎がきゝました。
「こゝのモリブデンの鉱脉は当分手をつけないことにになった為なさうです。」
「さうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」
嘉助が高く叫びました。宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。
二人はしばらくだまったまゝ相手がほんたうにどう思ってゐるか探るやうに顔を見合わせたまゝ立ちました。
風はまだやまず、窓がらすは雨つぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。
嘉助は、やはり高田三郎は風の又三郎だったと最後に高く叫びますが、それでもなお二人は、「相手がほんたうにどう思ってゐるか探るやうに顔を見合わせたまゝ立ち」、心の底では「ためらい」を抱えたままで、幕が下りるのです。
これは、トドロフが幻想の定義において第二の条件として挙げた、「このためらいは、作中の一人物によって感じられていることもある」という状態です。「作中の一人物」どころか、子供たちみんなに大きなためらいを残して、三郎は行ってしまったのです。
トドロフが言うところの「幻想」が、ここにおいてまさに典型的な形で現れているわけですが、実はこの物語には、天沢退二郎さんが繰り返し指摘されたように、もう一つさらに奥深い「幻想」が、埋め込まれているのです。
それは、天沢さんが「風の又三郎は誰か」(『宮沢賢治の彼方へ』1968所収)、「「風の又三郎」再考Ⅰ」(『《宮沢賢治》鑑』1986所収)、『謎解き・風の又三郎』(1991)で論じておられる、〈九月八日の章で、「雨はざっこざっこ雨三郎/風はどっこどっこ又三郎」と叫んだのは誰か?〉という問題です。
該当部分の前後を引用します。
そのうちに、いきなり上の野原のあたりで、ごろごろごろと雷が鳴り出しました。と思ふと、まるで山つなみのやうな音がして、一ぺんに夕立がやって来ました。風までひゅうひゅう吹きだしました。淵の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまひました。みんなは河原から着物をかかへて、ねむの木の下へ遁げこみました。すると又三郎も何だかはじめて怖くなったと見えてさいかちの木の下からどぼんと水へはいってみんなの方へ泳ぎだしました。すると誰ともなく
「雨はざっこざっこ雨三郎
風はどっこどっこ又三郎」と叫んだものがありました。みんなもすぐ声をそろへて叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎
風はどっこどっこ又三郎」
すると又三郎はまるであわてて、何かに足をひっぱられるやうに淵からとびあがって一目散にみんなのところに走ってきてがたがたふるえながら
「いま叫んだのはおまへらだちかい。」とききました。
「そでない。そでない。」みんなは一しょに叫びました。ぺ吉がまた一人出てきて、「そでない。」と云ひました。又三郎は、気味悪さうに川のはうを見ましたが色のあせた唇をいつものやうにきっと噛んで「何だい。」と云ひましたが、からだはやはりがくがくふるってゐました。
ここで、2回繰り返される「雨はざっこざっこ……」というリフレインの、2回目の方は「みんなもすぐ声をそろへて」叫んだものなので、三郎もそれは目の前で見てわかっていたはずです。問題は、1回目の方を誰が言ったのかということで、これについて三郎は「いま叫んだのはおまへらだちかい。」と子供たちに訊きましたが、みんなは一しょに「そでない。そでない」と否定したのです。
では子供たちの誰でもないとすれば、この声の主はいったい誰なのでしょうか。
その答えとしては、様々な可能性がありえます。
一つは、叫んだのは実際は子供たちのうちの一人だったが、それを三郎に隠すために、皆で嘘をついて否定したのだという解釈です。これなら何も超自然的なことは起こっていないことになり、トドロフの言い方では「自然な説明」に該当します。
これに対して「超自然的な説明」としては、高田三郎ではない真の精霊たる〈風の又三郎〉が叫んだのだとする説(初期の天沢退二郎氏や佐藤通雅氏)や、〈自然〉が子供たちの口を借りて叫ばせたので、子供たちには叫んだ自覚がなかったとする説(山内修氏)や、「ざしき童子のように、子どもたちのひとりであるが、しかし決して子どもたちの
この場面における三郎の様子を見ても、唇を噛んで「何だい。」と言ったのは、子供たちの誰かが叫んだのを皆で嘘をついて隠していると思って反発しているようでもあり(自然な説明)、しかし同時に「あわてて」「気味悪さうに」「がくがくふるって」いる態度は、超自然的な存在に怯えているようでもあり、その反応は両価的で、事態をいったいどう理解したらよいのか、彼自身も迷いためらっています。
この箇所の三郎の動揺は、これがこの物語で彼が姿を見せる最後の場面でもあるだけに、よけいに深い印象を残します。また、それまでは他の子供たちから超自然的な存在かもしれないと恐れられていた三郎自身が、今度は別の超自然的存在を感じて恐れているのですから、その不気味さはさらに一次元深まります。
そして読者には(また研究者たちの間にさえも)、様々な幻惑を抱かせたまま、物語は終わるのです。
こうして見ると賢治は、トドロフが幻想文学を定義するずっと以前に、まさにそれに沿う形で、周到に物語を組み立てていたわけです。
※
一方、賢治の詩もいろいろ幻想的なものが思い浮かびますが、これをトドロフ的に見るとどうなるのでしょうか。
ここで、トドロフが上記の「幻想」の定義の第三の条件として、「読者がテクストに対して特定の態度をとることが重要である。すなわち、読者が、「詩的」解釈も「寓意的」解釈も、ともに拒むのでなければならない」と述べていることが問題になります。
トドロフは、読者が作品テキストを、「詩的」あるいは「寓意的」に解釈する場合には、それは「幻想」には該当しないと考えているのです。
これについてトドロフは、より具体的に次のように述べています。
たとえ超自然的な要素が含まれていても、それが文字通りに理解されるべきでないことが明らかで、そのため、読者があらためてそうした要素の本賞について疑念を抱こうとしない、そういう物語も実際にある。たとえば、ある物語で動物たちが人間の言葉を話していたとしても、われわれはいささかも疑念を抱くことがない。そうしたテクスト語句が別の意味に、一般に寓意と呼ばれている意味に取られるべきことがわかっているからである。
これとは逆の意味が、詩について認められる。仮に詩がひたすら表現的であることを期待されているとしたら、現実の詩のテクストの多くが幻想的とみなされるだろう。しかし、そのようなことにはならない。たとえば詩の「私」が空中へ飛び立つと言われていても、それは、あるがままに取るべきひとつづきの語句であって、そうした語の向こうまで行こうとするべきではないのだ。(p.52)
テクストにおいて一見すると超自然的な現象が描かれていても、読者が最初からそれを超自然的と受けとらないような場合には、読者に「ためらい」が起こることもなく、従って幻想文学とは見なされないということで、例えば動物たちが人間の言葉をしゃべる「寓話」がそうです。
一方、「詩」というジャンルの特性と、それが幻想ではない理由について、トドロフは後の箇所で次のように述べています。
今日では、詩的イメージがけっして記述的なものでないこと、その指示作用のレヴェルにおいてではなく、それが構成している語句連鎖のレヴェルで、その字義性において、読み取られるべきものであることは、一般に広く認められているところであろう。詩的イメージとは語の組合わせなのであって、事物の組合わせではない。したがって、かかる組合わせを感覚的な語に翻訳してみても、無益であるばかりか、有害なことでさえある。
詩的な読み方が幻想にとって障害となる理由は、いまや明らかであろう。あるテクストを読むにあたって、一切の表象作用を拒否し、一つ一つの文を純粋に意味論的な組合わせとみなしていくなら、そこから幻想など現われはしない。幻想とは、表現された世界で起きている出来事に対し、一定の「反応」を要求するものであったことを想起されたい。こうした理由から、幻想は虚構の中でしか存続しえない。つまり、詩は幻想的ではありえないのだ。(p.93)
すなわち、詩のテクストは純粋な言語構築物そのものであり、それによって何らかの事物を指示表象しようとするものではないことから、幻想文学ではありえないというわけです。
入沢康夫さんがつねづね述べておられたように、「詩は表現ではない」(『詩の構造についての覚え書』思潮社, 2002, p.11)ということなのだと思います。
しかしここで私は、賢治の書いた「詩」は、トドロフが幻想文学の例外とした詩というジャンルの、さらにまた例外として、逆に幻想文学の範疇に入れるべきなのではないかと考えます。
賢治は、「詩といふことはわたくしも知らないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほり記録したものを何だかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした」(岩波茂雄あて書簡214a)と述べ、自らの「心象スケッチ」を、世間一般の詩とは同一視してほしくないと考えていました。
それはいったいなぜだったのでしょうか。
賢治が、両者の相違点として挙げているのは、自分のものは「厳密に事実のとほり記録したもの」であるのに対し、従来のものは「つぎはぎしたもの」だというのです。
これは、自分の「心象スケッチ」には、一般の詩における修辞表現のような人為的創作物は含まれておらず、たとえ主観的な描写であっても、それは自ずと心に現れたままの事柄を、「事実のとほりに」記載したものなのだと、主張しているのでしょう。
また賢治は、『春と修羅』の「序」でも、「これらは二十二箇月の/過去とかんずる方角から/紙と鉱質インクをつらね/(中略)ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりの心象スケツチです」と述べ、収められた作品の内容が「そのとほり」であることを、ことさら強調しています。つまり彼は、あらかじめ読者に、そのような前提で作品を読むことを、要請しているわけです。
となると、賢治の心象スケッチは、作者の心象を忠実に記述し表象しているというのですから、トドロフが詩のテクストは表象作用を欠いているという理由で幻想文学から除外した理屈は、当てはまらないことになります。賢治の心象スケッチの読者は、テクストに記された内容を、作者の実体験そのままの記録として読むよう求められているので、その通りに読んでいくと、超自然的な描写に頻繁に遭遇しては、いったいどう解釈したらよいのかという「ためらい」を、覚えることになります。
これはまさに、トドロフが定義したところの「幻想文学」にほかなりません。
すなわち、宮澤賢治の口語詩は、自らの体験を「そのとほり」記録するという方法論を採用して、それを読者にも宣言するという形式を備えつつ、一方その内容においては、超自然的な出来事がしばしば現れるという特徴を有することから、その独特な幻想性が立ち現れてくるのだと言えるでしょう。
このような観点から、賢治の詩の全体像を俯瞰的に捉えられないかと、個人的に思っているところです。
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