ページ上部のタイトル背景に表示される画像を、様々な写真がその都度ランダムに入れ替わって出てくるようにしてみました。
表示される画像は、今のところ下記の14種類です。
- 宮澤賢治銅像と旧羅須地人協会(花巻農業高校, 2017年12月23日撮影)
雪の日の写真です。銅像と他の部分は、別色のフィルターをかけています。 - 豊沢橋親柱(花巻市豊沢町, 2022日5月3日撮影)
賢治生家から羅須地人協会跡に向かう途中の「豊沢橋」は、2018年に架け替えられました。豊沢川を見下ろす親柱には、「銀河鉄道の夜」や「雨ニモマケズ」のテキストやオブジェが取り付けられています。 - 賢治祭(花巻市桜町4丁目, 2015年9月21日撮影)
毎年9月21日の「賢治祭」には、全国の賢治ファンが詩碑の前に集います。一昨年と昨年はコロナのために中止を余儀なくされましたが、今年ははたしてどうなるでしょうか。 - 未来都市銀河地球鉄道壁画(花巻市愛宕町, 2016年9月22日撮影)
花巻駅から200mほど北に行ったところにある、この壮大な壁画は蛍光性の塗料で描かれていて、夜になると幻想的な絵柄が浮かび上がります。 - 賢治詩碑前から東の眺望(花巻市桜町4丁目, 2013年5月2日撮影)
賢治が数年を暮らした下根子桜の高台から東を見ると、彼が「経埋ムベキ山」に選んだ胡四王山、旧天王山、観音山などが連なります。 - 「原体剣舞連」詩碑(奥州市江刺田原, 2022年5月4日撮影)
原体地区の経塚森に建立されたこの詩碑には、地元出身の世界的彫刻家小野寺玉峰氏が制作した、ブロンズのレリーフが嵌め込まれています。 - 「冗語」詩碑(花巻温泉バラ園, 2004年8月13日撮影)
花巻温泉バラ園に立つこの詩碑は、咲き乱れる花々の眺めを妨げないように、透明の強化ガラスで作られています。 - 「小岩井農場」詩碑(雫石町丸谷地, 2003年8月14日撮影)
碑面に映る「一号サイロ」「二号サイロ」は、それぞれ1907年と1908年に建てられたもので、賢治も親しんでいたはずです。 - 「宗谷〔二〕」詩碑(稚内市宗谷岬平和公園, 2002年8月14日撮影)
賢治も渡った宗谷海峡を望みつつ、「日本最北端の地の碑」の近くに建てられています。 - 「雨ニモマケズ」詩碑(気仙沼市唐桑町, 2011年11月26日撮影)
町並みからはずれて、三陸海岸を望む静かな丘に建つ詩碑です。 - 種山ヶ原(奥州市~住田町, 2001年9月23日撮影)
賢治がこよなく愛し、何度となく訪ねた種山ヶ原は、彼にとって自然との交歓の場であり、多彩なインスピレーションの源でした。 - 「根本中堂」歌碑(比叡山延暦寺, 2002年4月14日撮影)
比叡山の根本中堂横に建つこの歌碑の前で、毎年賢治忌には延暦寺の高僧による法要が営まれます。 - 「青森挽歌」詩碑(青森県平内町, 2014年5月3日撮影)
「青森挽歌」の冒頭部分が刻まれたこの詩碑は、当サイトの石碑のページには未掲載ですが、「銀河鉄道夏泊線はくちょう駅」と名付けられた庭園にあります。「客車のまどはみんな水族館の窓になる」にちなんで、水中のような情景にしています。 - ブドリとネリの像(花巻市矢沢/岩手山を背景に加工, 2022年5月5日撮影)
ますむらひろし氏によるこの「グスコーブドリの伝記」のキャラクター像は、新花巻駅から胡四王山の方に入る四つ角に建てられています。画像では、ブドリとネリをイーハトーブの大地に置いてみました。
パソコンなどの横幅の広い画面では、上の画像の中央部分だけが横長に表示され、スマートフォンなど狭い画面では、画像全体が表示されます。
ブラウザで「再読み込み」を行うと、いろいろと表示が変わるので、よろしければ試してみて下さい。
コメント