心はとにかく形だけで...

 先日、「「摂折御文 僧俗御判」の目的」という記事に書いたように、賢治はこの抜き書き集を編むことによって、「折伏」に臨む己れの心を鍛え直し、また「家を出る」覚悟を固めようとしたのではないかと考えているのですが、たとえばその具体的な影響は、次のようなところにも表れているのではないかと思います。

 「摂折御文 僧俗御判」の53番目に引用されている「出家功徳御書」は、僧をやめて還俗しようとしている弟子に対し、日蓮が思いとどまるよう戒める内容の書簡ですが、その中に下記のような箇所があります。 (『新校本全集』第14巻本文篇p.319)

所詮心は兎に角も起れ身をば教の如く一期出家にてあらば自ら冥加も有べし。此理に背て還俗せば仏天の御罰を蒙り現世には浅ましくなりはて後生には三悪道に堕ちぬべし。能々思案あるべし 身は無智無行にもあれ形出家にてあらば里にも喜び某も祝著たるべし

〔現代語私訳〕
しょせん心にはどんな考えが起ころうとも、その身を教えの通りに出家として生涯を送れば、自ずと加護があるはずです。この理に背いて還俗すれば、仏天の罰を受け、現世では悲惨な目にあい、後生では三悪道に堕ちるでしょう。よくよく思案しなさい。たとえ身は学問も修行もしなくても、形が出家であれば、元の家族も喜び、私も満足に思うでしょう。

 つまり「中身の心よりも形が大事だ」と言っているわけですが、保阪嘉内にあてた賢治の書簡に、これと似たような部分があります。
 まずは、1921年1月中旬の書簡181から。

この時あなたの為すべき様は
   まづは心は兎にもあれ
   甲斐の国駒井村のある路に立ち
   数人或は数十人の群の中に
   正しく掌を合せ十度高声に
  南無妙法蓮華経
   と唱へる事です。

 形としては、「まづは心は兎にもあれ」という部分が、日蓮書簡の「所詮心は兎に角も起れ」に似ており、また内容的にも、「心の中身はともかく、形を正しくせよ」ということを、どちらも言っています。

 さらに、家出上京後の同年1月30日付け書簡186では、次のように書いています。

お心持ちはよくわかります。判らぬほどの馬鹿でもありません。それがその儘善いか悪いか私は知りませんよ。けれども、それでは、心はとにかく形だけでそうして下さい。国柱会に入るのはまあ後にして形丈けでいゝのですから、仕方ないのですから
   大聖人御門下といふ事になって下さい。
全体心は決してそうきめたってそう定まりはいたしません。
形こそ却って間違ひないのです。日蓮門下の行動を少しでもいゝですからとって下さい。

 これも、「心はとにかく形だけで」よいから、日蓮の門下ということになってくれと、強く勧誘しているわけです。

 「摂折御文 僧俗御判」の53番目という場所は、在家よりも出家の方が望ましいということを説くテキストを集めた、「僧俗御判」の部分に相当すると考えられますが、賢治はこれも親友に対する「折伏」の方法として、用いているわけです。

 それにしても、日蓮が上の書簡で「心よりも形が大切だ」と言っているのは、宗教的言説としては、ちょっと珍しいものと言えます。普通ならば、古今東西たいていの宗教は、「形式などよりも、信仰する『心』の方が大切だ」と言うでしょうし、日蓮も賢治も、本当はそう考えていたはずです。しかし日蓮としては、この状況では弟子をまずとにかく出家の身に留める方がよいと判断し、一種の「方便」として、こう言っているのだとも考えられます。
 そして賢治も、上の書簡186に続く187では、おそらく少し前向きの返事をしてきた嘉内に対して、「この上はもはや「形丈けでも」とは申しません」と畳みかけて、さらに国柱会の信仰に引き入れようと試みます。
 こういった「方便」の使い方も、賢治が日蓮の方法論から学んでいるところのように感じられます。