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「心象」の意味

 12月8日に埼玉の文教大学で開催される、「第20回日本イメージ心理学会」の公開シンポジウム「宮澤賢治の持つイメージの世界をどう読み解くか」において、鈴木健司さん、大島丈志さん、栗原敦さんとご一緒に話をすることになったので、最近はその準備を少しずつしています。
 今回はそれに関連して、賢治の「心象」と「イメージ」について。

 宮澤賢治が「心象」という語を作品に記した最初は、「〔冬のスケッチ〕」の中のいくつかの断章においてかと思われます。

  ※ おもかげ
心象の燐光盤に
きみがおもかげ来ぬひまは
たまゆらをほのにやすらふ
そのことのかなしさ。

天河石 心象のそら
うるはしきときの
きみがかげのみ見え来れば
せつなくてわれ泣けり。

 「〔冬のスケッチ〕」は、最も広く見積もって1921年12月から1923年3月までの間に書かれたと推測されており(『新校本全集』第一巻「校異篇」p.148)、一部は『春と修羅』の時代と重なっていると言われていますが、後者の作品になると、「春と修羅」の「心象のはいいろはがねから」、「小岩井農場」の「こんなせわしい心象の明滅をつらね」をはじめ、一挙にたくさん「心象」が出てきます。
 そしてやがて、個々の作品そのものが作者によって「心象スケッチ」と呼ばれるようになるわけです。

 賢治の言う「心象」とはどういう意味なのかということは、これまでも多くの人によって論じられてきました。境忠一氏は『評伝 宮澤賢治』において、当時の代表的な哲学事典である『哲学大辞典』で、現在では「心像」の語をあてる"image"の訳語として、「心象」が用いられていることを指摘していますし、大塚常樹氏の『宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)』所収の「「心象」語誌」でも、エンジェル著『機能主義 心理学講義』の日本語訳や、当時のその他の心理学書において、「心象」が"image"の訳語として用いられている例が挙げられています。
 また、先月刊行された、奥山文幸氏の『渦動と空明 日本近代文学管見』(蒼丘書林)の第1章「宮沢賢治と「心象」」では、井上円了による「心象」の用例や、やはりエンジェルの『機能主義 心理学講義』の内容を検討し、さらに心的活動を「知・情・意」に三分するという考え方の沿革などを詳しく論じてていますが、最終的な結論は、以下のようになっています。

具体的には諸説紛々としており、心象スケッチという言葉が宮沢賢治の作品の中で成立する以前の時代もそれぞれ違っているのだが、賢治の心象スケッチにおける「心象」の位置がそのどれと重なり、あるいは近似しているのかについて確定することは難しい。

 ということで、奥山氏によれば「心象」の意味の問題は未解決だということなのですが、私としては、境忠一氏や大塚常樹氏の意見のように、心理学的な意味での"image"の訳語としての「心象」に由来していると言ってよいのではないかと、考えています。

 賢治の時代までの明治大正期における「心象」の語の用例を調べるために、国会図書館デジタルライブラリーでインターネット公開されている書籍のうちで、(賢治が「心象」の語を使い始めた時期の下限と言える)1923年までに刊行され、「書名」または「目次」に「心象」の語が入っているものをリストアップし、その中から同一の書籍の改訂版を除外すると、31件が該当しました。そして、各々の書籍において「心象」という語がどういう意味で使用されているかを調べると、下の表のようになりました。

明治大正期における「心象」の意味

 ここで「イメージ」とは、前述のように英語"image"の訳語として使われている場合で、現在の「心像」にあたります。一方、「心的現象」とは、心において生起する現象全般を指しているもので、「的現」に由来すると思われます。「心霊」とは、オカルト的な「心霊術」などで用いられる意味です。

 一見してわかるように、「イメージ」と、「心的現象」の二種が、拮抗しています。これを円グラフにすると、下のとおりです。

明治大正期における「心象」の用例(グラフ)

 上の表から、いくつかの具体例を見てみましょう。
 まず「心的現象」の意味の例としては、明治期の心理学においてパイオニア的貢献をした井上円了の、『心理学 : 通信教授. 第1』(1895)では、「心ノ現象ハ爰ニ之ヲ心象ト名クルナリ」(p.9)と述べて、心の現象全般を「心象」と命名していることがわかります。1893年の『心理学百問百答』(日下部三之介)でも、「心象(即チ心ノ現象)トハ...」(p.6)とあり、さらに1903年の『催眠術及感応療法』(山崎増造)も、「心性の現象即ち心象は意識の作用にして単一なり」(p.37)と述べています。
 著作年は不明ですが、西村茂樹訳の『可吉士氏心象學摘譯』は、William Edward Coxというイギリス人の著した心理学書の手書きの抄訳で、「心象學」と「心理學」が、psychologyの訳語として混在しており、まだ「心理学」の訳語が完全には定まっていなかった時代を目の当たりにします。これも、「心象」が心理現象全般を表していることから、こちらの分類に入れています。
 少し変わっているのは、1906年の『倶舎哲学』(舟橋水哉)です。これは、心理学ではなく仏教哲学書ですが、「倶舎論」の世界観を説明する中で、下のように「心象」の語が出てきます(p.38)。

『倶舎哲学』

 本文の説明を読むと、世親の倶舎論では、万有をまず因果的事物(左の図式では有為)と非因果的事物(無為)に分け、次に「有為」を「物質(色)」と「心象(心心所)」と「非物非心(心不相応行)」に分け、さらに、「心象(心心所)」は、「心」と「心所」に分けられるということです。この「心」は、本来は「心王」と呼ばれ、心の認識作用のことを指し、「心所」は、その認識内容のことを指すようです。フッサール的に言えば、「ノエシス」と「ノエマ」でしょうか。
 いずれにせよ、「心王」と「心所」を合わせたものが「心象」だというのですから、これは「心的現象全般」のことになります。
 1908年の加藤咄堂著『心の研究』は、このような仏教哲学と西洋的な心理学を統合しようとしたものですが、「心象」の語はやはり『倶舎哲学』と同様の意味に用いられています。
 上の表およびグラフで、「心象」の意味を「智情意」としてある2件は、「心的現象」と一応区別はしてありますが、そもそも「心象」を三つに分類すると「智情意」になるということを述べており、するとこの「心象」は「心的活動」全体を指しているわけですから、広くとれば「心的現象」の分類に入れてもよいでしょう。
 もしそうした場合には、「心的現象」は2件増えて13件、「イメージ」は12件ということで、数は逆転します。

 一方、このような「心的現象全般」という意味と双璧を成すのが、心理学用語の"image"の訳語としての「心象」です。最も初期の頃の用例の一つと思われる1895年の『実験心理学(麟氏). 上巻』では、感覚トハ精神ノ表象(略シテ心象トイフ以下準之)ニシテ、外界ヨリ刺戟セラレタル神経興奮ヲ神経中枢ニ通ジ、該中枢ノ媒介ニ由リテ更ニ之ヲ精神其物ニ達スルニ由リ起ルモノナリ」とあり、「感覚」の要素の一つとして登場します。感覚内容が、何らかの「形象」を備えていることを、表しているのかと推測されます。
 よりはっきりと、"image"との関連を示しているのは、1900年の『教育学ニ応用シタル心理学』(浮田和民)で、ここには「再現的心象の象と云ふ字はイマゴ(Imago)と云ふ羅甸語から転化したるものでございます」(p.114)と書かれています。
 1909年の大槻快尊著『心理学』になると直接的に、「心象。Image/Gebild 精神現象は種々複雑なる結合状態にして、その内にて比較的簡単なる結合をなせるものあり、此を心象と称す」とあり、またハーバード大学でウィリアム・ジェイムズの同僚でもあったジョサイア・ロイスの心理学書の翻訳『ロイス氏 心理学』(風見謙次郎訳)では、「心象(Image)とは一般に過去の五官興奮の間接的結果なり」と述べられており、いずれも"image"の訳語であることが明示されています(p.146)。

 上の二種のいずれとも違った意味の「心象」として、オカルト的な意味での「心霊」があり、たとえば1918年の『心霊の秘密』では、"The Society for Psychical Research"が、「英国心象研究協会」と訳されています。
 ただ、このような「心霊」の意味と、心理学における「イメージ」―現在の「心像」に該当―とは、互いに関連性があるわけではなさそうです。大塚常樹氏は、エンジェル著『機能主義 心理学講義』の記載内容をもとに、「「心象」は「心像」よりも、より神秘的な精神作用を意味しうる用語だと言える」と述べておられますが、エンジェルの同書はあくまで自然科学的な立場から心理学を解説しており、そのような「神秘的な」事柄は述べられていないように、私には思われます。

 さて、以上見てきた、明治大正期の「心象」の主要な2つの意味、「心的現象全般」と「イメージ」のどちらに、賢治の用法が沿っているかということを実際の作品に即して見てみると、後者であることは明白だと思います。

心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
          (「春と修羅」)

それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
          (「小岩井農場」)

幻聴の透明なひばり
七時雨の青い起伏は
また心象のなかにも起伏し
ひとむらのやなぎ木立は
ボルガのきしのそのやなぎ
          (「一本木野」)

雨がぽしゃぽしゃ降ってゐます。
心象の明滅をきれぎれに降る透明な雨です。
          (「手簡」)

 これらはいずれも、作者の心の中に映じた、あるかたちをもった心的なイメージを表しています。明確な姿形を持っているとはかぎりませんが、少なくとも光が「明滅」するように、何か視覚的な様態である場合がほとんどです。
 ただし、、賢治の言う「心象」と、当時の心理学的な意味での「心象(イメージ)」、あるいは現在の「心像」との重要な相違点は、一般に心理学で言う「イメージ」は、現在体験しているものの像(知覚像)を指す場合には用いず、あくまで心に思い浮かべる像(表象)を指すのに対して、賢治はいま現に感じている知覚像も、あるいはそれとともに彼の心の奥底から湧いてくる表象や幻覚的な体験なども含めて、すべてを「心象」と呼び、その記録を「心象スケッチ」と名づけたということです。

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです