山の雲と他界

 サハリンから帰りの列車の中、「噴火湾(ノクターン)」において、賢治は北海道駒ヶ岳にかかる雲の中に、亡くなった妹トシが隠されているのかもしれないと、空想します。

東の天末は濁つた孔雀石の縞
黒く立つものは樺の木と楊の木
駒ケ岳駒ケ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない

 ところで、『万葉集』の中にも、これとよく似た挽歌がいくつも収められていることを、大東俊一著「日本人の他界観の構造―古代から現代へとつながるもの―」という論文で知りました。
 それは、次のようなものです。

こもりくの 泊瀬はつせの山の 山のに いさよふ雲は いもにかもあらむ
   柿本人麻呂(巻三・四二八)

山のゆ 出雲の児らは 霧なれや 吉野の山の 嶺にたなびく
   柿本人麻呂(巻三・四二九)

佐保山に たなびく霞 見るごとに いもを思ひ出で 泣かぬ日はなし
   大伴家持(巻三・四七三)

つのさはふ 磐余の山に 白たへに かかれる雲は 皇子すめらみこかも
   (巻十三・三三二五)

 一、四首目では山にかかる「雲」が、二首目では山から立ち上る「霧」が、三首目では山にたなびく「霞」が、亡き人を心に呼び起こす契機となっており、賢治の場合と不思議に共通しています。
 これらの歌の背景にある他界観について、大東俊一氏は次のように考察しておられます。

 山にかかる雲・霧・霞などは天に近接するものであり、天上他界を示唆しているものと言われてきたが、歌意を忠実にたどれば、雲・霧・霞などは第一義的には故人を偲ぶ手がかりとして機能していると考えられよう。そして、五感の働きの及ばない世界に故人が去っていってしまったことを嘆き悲しむことが歌意であるとすれば、これまで天上他界と言われてきたものは空間的に特定された天上ではなく、葬地としての山中他界の向こうに広がるさらに漠然とした境外の他界と言ってもよいであろう。

 すなわち、人が「山にかかる雲」に寄せて亡き人を思う時、故人の居場所は「天上」と想定されているわけではなく、むしろ「山中他界」に近いものとして考えるべきだという指摘です。
 これは、賢治が「噴火湾(ノクターン)」の上の引用に続けて、最後に次のように書いていることとも、符合します。

たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

 最後の行の「どこかにかくされたとし子をおもふ」の「どこか」とは、具体的には上のように駒ヶ岳にかかる「まつくらな雲のなか」なのですが、やはりこの時賢治は、トシが天上(=「きらびやかな空間」)に往生したとは、どうしても感じられていないのです。大東氏によれば、その「雲」は天上にあるというよりも、日本固有信仰における「山」を象徴しているのです。

 いずれにせよ、ここでもやはり賢治がトシを思う時の他界観は、仏教よりも日本の古層にあったそれに、つながっているのです。