「探索行動」としてのサハリン行

二疋の大きな白い鳥が
鋭くかなしく啼きかはしながら
しめつた朝の日光を飛んでゐる
それはわたくしのいもうとだ
死んだわたくしのいもうとだ
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる
  (それは一応はまちがひだけれども
   まつたくまちがひとは言はれない)

 トシの死(1922年11月23日)から半年あまり経った1923年6月4日の、この「白い鳥」という作品において、賢治は自らの喪失感を、悲しげな鳥の啼き声に重ね合わせています。
 賢治自身、鳥に対するこのような感情移入の当否に関して、「それは一応はまちがひだけれども/まつたくまちがひとは言はれない」と保留していますが、はたして実際に鳥は、大切な仲間を求めてこのように啼くということがあるのでしょうか。

 動物行動学者のコンラート・ローレンツは、つがいの相手から引き離されたハイイロガンが示す反応について、次にように書き記しています。

 相手の姿が見えなくなると、これに対する最初の反応として、ハイイロガンは相手を見つけ出そうとして全力を尽くす。ひっきりなしに、文字通り昼夜の別なく三音節の遠なきをして、せかせかと興奮しながら、住みなれたあたりの、ゆくえ不明になった相手といっしょに常日ごろいた場所をかけめぐり、捜索の範囲をだんだん広げ、たえず鳴きながら広く飛び回る。(K.ローレンツ『攻撃』)

 このハイイロガンの様子は、まさに「鋭くかなしく啼きかはしながら」飛ぶ「白い鳥」のようですが、このようにして失った相手を「探索」しようとする行動は、動物に見られるだけではありません。実は人間も、喪失体験の際には同じような行動をとるのです。

 イギリスの精神科医で死別体験の心理とケアを研究するコリン・M・パークスは、その著書『死別』の中で、次のように述べています。

 死別を体験した成人は、死別した人を探し求めることが無意味だということは十分に承知しているが、だからといって、強い探索衝動がおさまるはずがないと、私は断言できる。探すことが不合理だと判っているからこそ、これこそが自分がやりたいことだと思うことに抵抗するのである。もっとも、死別を体験した成人の中には、自分の行動に不合理なところがあるという洞察を既に持っている者もいる。
 「あらゆる所で、亡夫を探さずにおれません。――彼を探してさまよい歩きます。――どこかできっと見つけ出せるという気がするのです」。ロンドン調査の被験者の未亡人は、夫の死後一週目にそう語っている。死んだ夫に会いたい一心で、降霊術者の会合に出るつもりでいたが、結局行かないことに決めた。やはりロンドン調査の被験者である別の未亡人は「私はまさに空虚を無駄に探していたのです」と語り、また別の未亡人は、「私はお墓に行くんです……でもそこにはいませんでした。まるで夫に引き寄せられているようです」と語っている。

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 このように、大切な人を失った後の「悲嘆」の過程にある人は、しばしば亡くした人を懸命に探し求めようとすることがあります。パークスはまた、第二次大戦で息子を亡くしたオーストラリア人の両親が終戦後にイギリスに「息子を探しに」来たり、イギリス人の両親がベルギーに行ったりした話も紹介しています。
 はるばる外国まで死者を探しに行くこれらの人々は、目的地に着いても死者に会えるわけではないことを、本当は知っています。それは本人もよくわかっているのに、それでもやむにやまれぬ気持ちに駆られて、どうしても行かずにはいられないのです。
 このような現象を、パークスらは「探索行動」と呼びました。そしてこれは程度の差はあれ、正常な大人にもかなり広く見られる反応であると述べています。

 また、やはりイギリスの著名な児童精神科医であるジョン・ボウルビイは、次のように書いています。

 この見解をさらに進めて、悲嘆が健全な過程をたどっている死別者においては、失った人を探し求め取り戻そうとする衝動が、初期の数週間そして数か月間にしばしば生じ、その後時がたつにつれて徐々に消えていくこと、そそてその経験の程度は、個人により大きな差があることを私は示唆した。ある人たちは失った人を意識的に探し求めるが、他の人たちはそうではない。ある人たちは進んでそのことに熱中するが、他の人たちはそれが不合理でばかげているとして隠そうとする。自分の衝動に対して、どちらの態度をとるにしろ、死別者はそれでもなお死んでしまった人を探し求め、もしもできることなら、取り戻そうとしている自分を認めないわけにはいかない。

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 死んでこの世にいない人を探し求めるという一見不合理な行動は、別に異常なことでも何でもなく、悲嘆において誰しも経験する「健全な過程」なのです。

 さて、このような観点から見ると、賢治がトシの死後8か月あまり経ってから、妹の行方を追うような気持ちでサハリンに向かったのは、死別体験者における典型的な「探索行動」だったと言えます。
 この旅行において、賢治は単にトシとの「通信」を求めていただけではなくて、「トシのもとへ行こうとしていた」のだろうということについては、以前に「オホーツク行という「実験」」という記事で触れました。賢治がこの時、ある種の超自然的な形でのトシとの遭遇を期待していたと思われるところは、上のパークスの引用で、夫と会うために「降霊術者の会合」に出ようとしたという女性のケースと通じるところがあります。
 またパークスは、降霊術を遺族の関わりについて、次のように記しています。

 降霊術は遺族が亡くした人を探し求めることを助けるのを標榜しており、私が種々の調査で出会った遺族のうちの七人は、降霊会もしくは降霊術者の教会を訪れたことがあった。彼らの反応は様々で、いく人かは故人との何らかの接触が得られたと感じており、これに驚いた人もいた。彼らはこうした経験に満足を感じることはなく、降霊術者の集会の常連になった人はひとりもいなかった。

 それまでの人生において、「降霊術」などというものに関心を持ったことなどなかった英国の婦人が、しばしば死別の後には足を運ぶことがあったことを思えば、以前から「異界」への親和性を持っていた賢治が、何か通常ではない形で、トシと交信したりそのもとへ行けると思ったりしていたとしても、別に不思議はないという気がします。

 このように「探索行動」というものが、洋の東西を問わず、大切な人を亡くした人に広く見られる現象であるということを知れば、死んだ恋人エウリディケを連れ戻しに冥界へ行ったオルフェウスの登場するギリシア神話と、死んだイザナミノミコトを連れ戻しに黄泉の国へ行ったイザナギノミコトの登場する日本神話との間の不思議な共通性も、しっくりと腑に落ちる感じがします。
 そして賢治の旅も、そのような文脈で理解することができるのです。

コロー『冥界からエウリディケを連れ出すオルフェウス』
コロー『冥界からエウリディケを連れ出すオルフェウス』(Wikimedea Commons