スタンレー探険隊とコンゴー人

 「春と修羅 第二集補遺」に分類されている「発動機船 第二」の冒頭は、次のようになっています。

   発動機船 第二

船長は一人の手下を従へて
手を腰にあて
たうたうたうたう尖ったくらいラッパを吹く
さっき一点赤いあかりをふってゐた
その崖上の望楼にむかひ
さながら挑戦の姿勢をとって
つゞけて鉛のラッパを吹き
たうたうたうたう
月のあかりに鳴らすのは
スタンレーの探険隊に
丘の上から演説した
二人のコンゴー土人のやう
(後略)

 船の上から崖上の望楼に向かって、勇ましくラッパを吹く船長の様子が、「スタンレーの探険隊に/丘の上から演説した/二人のコンゴー土人のやう」だというのですが、さらに賢治にはこの「探険隊」と「土人」のやりとりそのものをテーマとした作品もあって、その名もずばり「スタンレー探険隊に対する二人のコンゴー土人の演説」(「文語詩未定稿」)です。

   スタンレー探険隊に対する二人のコンゴー土人の演説

演説者
白人 白人 いづくへ行くや
こゝを溯らば毒の滝
がまは汝を膨らまし
鰐は汝の手を食はん

     証明者
     ちがひなしちがひなし
     がまは汝の舌を抜き
     鰐は汝の手を食はん

白人 白人いづくへ行くや
こゝより奥は 暗の森
藪は汝の足をとり
蕈は汝を腐らさん

     ちがひなしちがひなし
     藪は汝の足をとり
     蕈は汝を腐らさん

白人白人 いづくへ行くや
こゝを昇らば熱の丘
赤は 汝をえぼ立たせ
黒は 汝を乾かさん

     ちがひなしちがひなし
     赤は汝をえぼ立たせ
     黒は汝を乾かさん

白人 白人 いづくへ行くや
こゝを過ぐれば 化の原
蛇はまとはん なんぢのせなか
猫は遊ばんなんぢのあたま

     ちがひなしちがひなし
     蛇はまとはん なんぢのせなか
     猫は遊ばんなんぢのあたま

白人 白人いづくへ行くや
原のかなたはアラヴ泥
どどどどどうと押し寄せて
汝らすべて殺されん

     ちがひなしちがひなし
     どどどどどうと押し寄せて
     汝らすべて殺されん

    (このときスタンレー〔数文字不明〕こらへかねて
     噴き出し土人は叫びて遁げ去る)

 このような作品にも仕立て上げるくらいですから、この「スタンレー探険隊」と「コンゴー土人」とのやりとりに関して、きっと賢治は相当の関心を抱いていたのでしょう。

ヘンリー・モートン・スタンリー ヘンリー・モートン・スタンレー(1841-1904,右写真はWikipediaより)は、イギリスのジャーナリスト・探検家で、生涯に何度も中央アフリカ奥地を探検し、当時アフリカで行方不明になっていた探検家デイヴィッド・リヴィングストンとタンガニーカ湖畔で邂逅したり、ナイル川の源流を突き止めたことなどで知られています。彼がアフリカの奥地でリヴィングストンと巡り会った時に発したという言葉、「Dr. Livingstone, I presume? リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?」は、当時イギリスで、思いがけず人と対面した時の慣用句として使われるほど有名な言葉になったということです。

 賢治が、このスタンレーの探険隊やアフリカにおける現地人との接触について知った出典として、『定本 宮澤賢治語彙辞典』は、スタンレーの著書『スタンレー探険実記 一名闇黒亜弗利加』(博文館,1896)だとしていますので、さっそく国会図書館デジタルコレクションで、これを調べてみました。

『スタンレー探険実記』 該当する本はおそらく右のもので、賢治が生まれた1896年(明治29年)に、矢部新作訳として刊行されています。
 『定本 宮澤賢治語彙辞典』には、これはスタンレーの著書"Through the Dark Continent"の翻訳であると書いてありますが、実際にはこれは、やはりスタンレーによるもっと後の探険記"In Darkest Africa or the Quest Rescue and Retreat of Emin Governor of Equatoria"の訳書であるようです。

 ページをめくって順に見ながら、賢治が注目したコンゴー人とのやりとりを探してみると、150-151ページにそれと思われる箇所がありました。

『スタンレー探険実記』p.150

『スタンレー探険実記』p.151

 このままでは読みにくいので、該当する部分を書き起こすと、下のようになります。

此朝暁方より凡そ三時間前に於て、舎営は土人の怒號と角笛の聲とに由て、一同平和の夢を攪破されたり。暫らくにして此聲は止めり。時に二人の土人、遙かの高所に在つて余等に對し、演説を始めたり、其聲明かに余等の耳に達せり。
第一人は曰く ― 外人共、外人共、何處へ行くのだ、何處へ行くのだ。
第二人は之れに應じて ― 何處へ行くのだ、何處へ行くのだ。
第一人 ― 此國は外人を容れない、外人を容れない。
第二人 ― 容れない、容れない、相違ない。
第一人 ― 一同皆汝等を敵とすべし。
第二人 ― 汝等を敵とすべし、帰れ帰れ。
第一人 ― 汝等は必ず殺さるべし。
第二人 ― 必ず殺さるべし、必ず。
第一人 ― ア、ア、ア、ア、ア―。
第二人 ― ア、ア、ア―。
第一人 ― ウ、ウ、ウ、ウ、ウ―。
第二人 ― ウ、ウ、ウ、ウ―。
此二人は實に能く調子を揃へて應演せり、此奇妙なる亜弗利加スタイルの演説法は、思はず、余等をして喝采せしめたり。次で諸方より一同に笑聲起れり、彼の演説者は此聲に驚きけん、匆々に逃げ去りぬ。

 これを見ると、賢治が「スタンレー探険隊に対する二人のコンゴー土人の演説」として文語詩化した内容よりはかなり簡素なものですが、しかし「第一人」が言ったことの一部分を「第二人」がリフレインのように繰り返し、いろいろと恐ろしい予言を連ねた挙げ句、最後に探険隊の笑い声に驚いて逃げ去る、という大枠は一致しています。
 念のために、原書"In Darkest Africa or the Quest Rescue and Retreat of Emin Governor of Equatoria"から該当部分を取り出してみると、下のようになっています。(The Internet Archive より)

 比べてみると、コンゴー人の発言部分は、矢部新作訳でもほぼ忠実に訳されているようです。

 興味深いのは、2人のコンゴー人の呼び方として、スタンレーによる原書では、'speaker'と'parasite'(=「腰巾着」?)として、2人目に対する評価が明らかに低いのに対して、矢部新作訳では「第一人」「第二人」と中立的な記述であり、一方賢治による「スタンレー探険隊に対する二人のコンゴー土人の演説」では、「演説者」と「証明者」となっていて、2人目に対しても一種の「権威」が付与されているところです。実際には、2人目は後について叫んでいるだけなので、これは賢治独特のユーモアなのでしょう。

 全体を眺めてみて、この2人の「演説」は、まるでミュージカルの一節であるかのような調子の良さと、滑稽な雰囲気に満ちています。(訳書には「此二人は實に能く調子を揃へて應演せり」と書いてありますが、この部分は原書にはありませんね。)
 最後で、二人が探険隊の笑い声で驚いて逃げてしまうところなど、もしもこれが舞台で演じられていたら、客席も一緒にどっと沸く場面でしょう。
 農学校の教師として、歌も入った喜劇を書いては生徒たちと上演していた賢治が、このような独特のやりとりに強く魅かれたというのは、理解できる感じがします。

 実際、賢治の作品の中にも、一人が何か叫んだらもう一人がその一部を真似するように叫んだり、あるいは強そうにしていた者が笑われた途端に逃げ出してしまったり、というような場面があったような気もしますが、今ちょっとすぐには思い出せません。

 何かありましたっけ?