かなしい時はジョバンニのように眼をそらに挙げると、天の川が見えます。今の季節なら、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウスが形づくる「冬の大三角形」によって、天の川は飾られています。
・・・ところで最近、「天の川は巨大なワームホール?」という科学記事を目にしました。
この記事は、SISSA(トリエステ国際高等研究スクール)の研究者が最近発表した論文(「銀河ハロウの中心領域におけるワームホール存在の可能性」)および報道発表(「理論的には、天の川は巨大な"銀河移動システム"かもしれない」)にもとづいたもので、それによると、私たちの「天の川銀河」には、巨大な時空トンネル(ワームホール)があるかもしれないというのです。
「ワームホール」とは、宇宙を舞台にしたSFではなじみ深い言葉ですが、私たちの属しているこの「時空」が歪みを持っているために、ある一点から別の離れた一点に移動できるような「トンネル」のような抜け道があり得るのではないか、という仮説です。
すでに1935年に、アインシュタインとその共同研究者ローゼンによって、その存在の可能性が示唆されていましたが、今のように「ワームホール」という言葉が普及するきっかけとなったのは、1988年にマイケル・モリス、キップ・ソーンらが発表した論文(「ワームホール、タイムマシン、および弱いエネルギー状態」)において、「もし負のエネルギーを持つ物質が存在するならば、通過可能なワームホールは存在しうる」ということが、数学的に確かめられたことによります。
この仕事のおかげで、以後のSFは、「どんな宇宙船も光速を超えられない」という相対性理論の桎梏から解き放たれ、「科学的」な方法によって人類が宇宙のはるか彼方まで旅をするという物語が、世界中で続々と生まれるようになりました。あの『スター・トレック』においても、ワームホールが重要な役割を果たしていました。
ということで、今回SISSAの研究者が論じたように、もしも天の川銀河に巨大なワームホールがあって、それが時空を旅する軌道になるのだとしたら、これこそ賢治が夢想した「銀河鉄道」そのものではありませんか!
賢治が描いたイメージが、思わぬ形でニュースに登場したことに感嘆するとともに、このSISSAという研究機関がイタリアにあることから、ジョバンニやカンパネルラやザネリなどという名前も、ここにぴったりふさわしいものに思えてきます。
あと、さらにもう一つ、魅惑を感じるような一致があります。
どちらも「宇宙空間における移動手段」だということで、「銀河鉄道」は「ワームホール」に比定することができるわけですが、そもそもこの「ワームホール」という名称は、「りんご」の実にあけられた「虫食い穴」から由来しているのです。「ワーム」というのは「芋虫」のことですね。
ワームホールという名前は、1957年にジョン・ホイーラーという物理学者が付けたものだそうですが、その発想の由来は、りんごの内部の虫食い穴を通れば、表面に沿って移動するよりも近道になる、ということです。右の図で、AからBへ行くのに、実線のように移動するのと、点線で移動するのとの違いですね。
平面においては、このような「近道」はありえませんが、りんごの表面は一種の球面で「歪み」を持っているために、このような現象が起こるのです。
となると、賢治が「銀河鉄道の夜」を着想するきっかけの一つとなったと考えられている作品「青森挽歌」において、「きしやは銀河系の玲瓏レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる」と書いていたことに、思いを馳せずにはいられません。
銀河鉄道は、まさに「りんごのなか」のワームホールを「かけてゐる」のです!
最後に、下の動画は、銀河にあるワームホールを、SISSAがイメージ化して公開しているものです。よくわからないけど、スペクタクルです。
"Galactic Wormhole"
やくべえ
いつも楽しく読ませていただいています。
ワームホールと賢治の銀河鉄道のお話、たいへん興味深いですね。
まるで賢治がホイーラーの命名の理由まで知っていたかのように思えたのですが、ホイーラーがワームホールという名称を作ったのは1950年代ですので、賢治がこのことそのものを知っていたわけではないのですね。
だとすると、詩のなかでのりんごへの言及といい、偶然にしても怖いぐらい一致点が多く、ほんとうに驚きです。まるで賢治はすでにワームホールを行き来していて、未来のことまで知りえたかのようですね。
ホイーラーはさまざまな科学概念にインパクトがあってかつセンスの良い命名をしていて、たいへん興味深い科学者です。こんなふうに彼も賢治につながるのかと思うのも楽しいです。
hamagaki
やくべえ様、コメントをありがとうございます。
私も、今回のニュース記事をきっかけにワームホールについて調べていて、その名称と「りんご」との関係、そして賢治がすでに「りんごのなかをかけてゐる」と表現していたことに気づいた時、ちょっと興奮してしまいました。
まさに、「偶然にしても怖いくらい」ですね。
物理学者の頭の中で着想が生まれようとしている時、そこには数式が渦巻いているわけではなくて、「りんご」なんかのような、何か具体的なイメージがあるのでしょうね。
(そう言えば、ニュートンが万有引力を着想するきっかけになったのも、「りんご」でした。)
その意味で、賢治の頭の中も、このような状態と何か共通するものがあったのかもしれません。
ジョン・ホイーラーという物理学者の名前は、私は今回初めて知りましたが、「ブラックホール」の命名者もこの人とのことで、こういう言葉のセンスが素晴らしかったのでしょうね。
ところでWikipediaによれば、「ワームホール」の命名が1957年、「ブラックホール」の命名がその10年後の1967年だそうですが、現在のそれぞれの探索状況や一般の知名度は完全に逆転しているのが、歴史の不思議です。
やくべえ
hamagakiさま、お返事をありがとうございます。
ジョン・ホイーラーは、あの「ファインマンさん」、こと、リチャード・ファインマンがプリンストン大学の博士課程にいたときの指導教官で、量子力学で使われているファインマンの経路積分の手法は、じつは二人が協力して作り上げた部分がかなりあります。経路積分こそ、数式ではなく単純な図形を使ってイメージでプロセスをとらえる手法で、これが登場したおかげで物理屋さんたちは大いに助かったのでした。
きっかけはファインマンの荒唐無稽ともいえる着想でしたが、それを拒絶したりせずに、正面から受け止めて、発展させるのを手伝った(手伝うことができた!)ホイーラーも素晴らしい先生だと思います。
ホイーラー自身の伝記がないものかと思うのですが、いつもほかの科学者の伝記に名脇役として出てくるのを、興味深く読んでいる、というのが現状です。そうなのです、ファインマンのみならず、大勢の科学者がホイーラーに助けられているのです。
宮沢賢治から話がそれてしまいましたが、いつも注目している人物の名前が出ていましたので、コメントさせていただきました。また機会がありましたら、おじゃまさせてください。
やくべえ
すみません、ひとつ訂正を。
前のコメントで「経路積分」を「ファインマン・ダイアグラム」に訂正いたします。
お恥ずかしいです。また、重ね重ねお騒がせし、申し訳ございません。お許しください。
hamagaki
丁寧な解説を、ありがとうございます。
昔、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を読んだことを思い出しました。
そして、やくべえさんのご説明を読んでいると、私もホイーラーという人が、とても魅力的な存在に思えてきました。
ファインマンという底抜けに陽性のキャラクターに対して、その日陰の部分の仕事もこなしつつ、サポートしてバランスをとる、という感じなのでしょうか。
ホイーラーの伝記が出れば、私もぜひ読んでみたいです。
やくべえ
Hamagakiさま、ご丁寧にまたお返事をありがとうございます。
しかし、少しお詫びをしなければなりません。
昨日の私のコメントは、何重にも勘違いがあり、お読みになった方に混乱と不快感を与えてしまったのではないかと存じます。たいへん申し訳ございませんでした。
まず、ホイーラーが博士課程のファインマンと協力したのは、経路積分です。これは、積分というだけに、数学的な手法です。
そしてファインマン・ダイアグラムというのは、それとは別に、さまざまな素粒子の過程を図で表す方法で、よく考えてみると、私は、ファインマンがこれをどういういきさつで思いつき、どのように完成させたかを知りません。Hamagakiさんのお返事に、「イメージ」という言葉があったのに引っ張られてしまい、ついついこれら二つを混同してしまいました。
宮沢賢治もイメージの豊かな人でしたが、ファインマンも、ホイーラーも、それぞれ違ったかたちで豊かなイメージが描ける人たちだったのだというのは確かだと思います。
ファインマン・ダイアグラム誕生物語は、「ファインマンさん」の本はそれこそたくさんありますので、どこかに載っているかもしれません。また調べてみます。
Hamagakiさんが、ご専門ではないワームホールのお話や、そもそも、宮沢賢治について、たいへん緻密な文章をお書きになっているのに、このような誤った内容を含むコメントをお寄せしてしまい、申し訳ございませんでした。
今度の機会には、もっとしっかりチェックしてから投稿するようにいたします。
Hamagakiさま、読者のみなさまにお詫び申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。
hamagaki
やくべえ様、ご丁寧に説明していただきまして、恐縮です。
「ファインマン・ダイアグラム」について、Wikipediaで調べてみて、
ああ、こういう素粒子の図のことだったのか、と腑に落ちました。
ところで高校生の頃、湯川秀樹の『旅人』という自伝を読んだのですが、たしか中間子理論を着想した頃のことが書かれているあたりに、「りんご」ではなくて何かレモンのような柑橘類?を手にしているような挿絵を見た記憶がありました。
今回、物理学的着想と「りんご」などのイメージの関係を思った時に、まずはこれが思い浮かんだのですが、ネットで調べてみた範囲では、具体的にはわかりませんでした。
私の記憶の間違いかもしれません。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。