賢治の里で賢治を歌う~お盆の岩手報告(2)~

 今回の岩手行きの主な目的の一つは、普代村で合唱の練習をしてくるということでした。
 この9月2日(日)に、花巻市で「賢治の里 花巻でうたう賢治の歌 全国大会2012」というイベントが開かれます。各地から、いろいろな個人や団体が出演して歌声を競うのですが、この大会に、三陸の普代村・野田村・田野畑村の合同の合唱団「コーラスライオット風」が出るにあたり、何と私が指揮をすることになったのです。
 下の写真は8月13日の岩手日報朝刊ですが、二段目に紹介されている「コーラスライオット風」が、それです。

岩手日報8/13朝刊 

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 普代村の合唱団と私のご縁は、7年前にさかのぼります。2004年10月に、普代村に「敗れし少年の歌へる」詩碑が建立されたことを受けて、詩碑オタクの私は、2005年1月に普代村を訪ねました。碑を見学したり、ちょうど80年前に賢治が泊まったと言われる旅館に宿泊し、賢治が歩いた道をたどったりしたのですが、この時に、花巻の阿部弥之さんのご紹介で、森田眞奈子さんをはじめ合唱団「コーラスライオット風」のメンバーの方々に、初めてお会いしたのです。
 皆でいろいろと賢治についてお話をしていたのですが、たまたま数年前に私の大学の後輩にあたるオーケストラが、普代村でホームステイをさせていただき合唱団とジョイントコンサートを開催したという奇遇も明らかになって、遅くまで話題は尽きませんでした。そのうちになぜかその場で、普代村に「敗れし少年の歌へる」の碑もできたことだから、これを記念してこの詩に曲を付けてくれないかという話が私に持ちかけられ、それで思いもかけず生まれたのが、当サイトでも公開している女声二部合唱曲「敗れし少年の歌へる」でした。
 この曲は、2005年10月に「コーラスライオット風」の定期演奏会において、当時の岩手県知事も来場されている中で初演されました(「普代村へ(2)」参照)。

「コーラスライオット風」第17回定期演奏会
2005年10月8日

 その後も、北三陸の「コーラスライオット風」は、「敗れし少年の歌へる」をレパートリーの一つとして、地元で歌い継いで下さっていたということですが、そこにまたこの2年というもの、合唱団の活動に大きな山がやってきます。

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坂本博士さんと森田眞奈子さん(1967) 合唱団の代表を長年務められた森田さんは1967年に、普代村を訪れたバリトン歌手・作曲家・音楽教育家である坂本博士さんに出会われました(右写真は森田さんと坂本さん)。
 当時はNHKテレビにも頻繁に出演する有名歌手だった坂本さんは、昭和三陸大津波を題材としたミュージカルを作曲するにあたり、取材のためにスタッフとともに三陸地方を旅していたのです。森田さんの家族が当時経営していた旅館に宿泊していたので、音楽が大好きだった森田さんは、坂本さんと親しく語らう時間を持てたのだそうです。
 翌年に、ミュージカル「海から黒い蝶がくる」が完成した際には、森田さんたちも東京に招待されて、聴きに行ったのだそうです。

 それから43年がたちました。2010年に普代村の小学校が統合されるにあたって、記念コンサートの開催が検討されていましたが、森田さんの働きかけもあり、そこに坂本博士さんを招待することになったのです。
 森田さんと坂本さんは、43年ぶりに普代村で再会しました。

再訪感謝

  2010年6月に開かれた「小学校統合記念ふれあいコンサート」では、坂本さんはミュージカル「海から黒い蝶がくる」の名場面を歌い、43年前に取材した津波の恐ろしさについても語られたということです。後半では、小中学生、村の人々も一緒になって、会場全体が歌声で包まれました(「普代村教育長だより」参照)。

 ところが、それから1年もたたないうちに、東日本大震災が起こったのです。三陸地方は、津波による甚大な被害を受けました。東京在住の坂本氏は、普代村の人々の声を録音したテープによって村の状況を知ったということですが、前年に村で津波の話をしていた時には、こんなことになるとは夢にも思わず、言葉を失ったそうです。
 坂本さんは、「自分にできることは、音楽で皆を支えたり励ましたりすること」と考え、2011年4月から5月にかけて、「絆」「希望の道」「ふるさとにおくる愛の歌」という3曲の合唱曲(絆三部作)を作曲し、7月に神奈川県でチャリティコンサートを開催しました(「タウンニュース」参照)。

 そして2011年12月、坂本さんは3度目となる普代村訪問を果たします。そしてその指揮のもとに、普代小学校や普代中学校や「コーラスライオット風」のメンバーは、「絆三部作」を歌ったのです(岩手日報「復興ソング 浜に勇気」参照)。

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 このような普代村における活動に、「賢治の里 花巻でうたう賢治の歌 全国大会2012」実行委員会代表の照井潔子さんも注目しました。そして、その勧めもあって「コーラスライオット風」は、今回の大会で「絆三部作」を歌うことになりました。ただしこの大会は、「賢治作品を1曲と自由曲」を歌うことが条件とされているされているため、自由曲としての坂本博士氏の「絆三部作」に加え、私の「敗れし少年の歌へる」が演目に加えられたというわけです。
 私は、この5月に津波後の三陸地方の賢治詩碑を見るために普代村に行っていたのですが、そこで7年ぶりに再会した合唱団の皆さんと食事をしている時に、またなぜか「こんどの9月に指揮をしてくれませんか」という話を持ちかけられました。カレンダーを見ると本番は日曜日だったので、私は調子に乗って思わずOKをしてしまいました。
 本当に私でいいのか?というのが正直言って心配なのですが、個人的には三陸も花巻も大好きなものですから、少しでもお役に立てるなら私にできることはやってみよう、というのが今の心境です。

 そんなわけで、去る8月15日の午後、主婦の皆さんにとっては一番あわただしいお盆の最中に、「コーラスライオット風」のメンバーとピアノ伴奏の方に集まっていただき、3時間ほどの練習を行いました。
 暑い中、汗をかきながらみんなの心は、かなり一つになった感じです。

 あとは、9月2日の本番を、乞うご期待、というところ・・・。

「敗れし少年の歌へる」楽譜