賢治学会2日目となる9月23日は、午前中にイーハトーブ館で行われた「宮沢賢治研究発表会」を見学した後、午後からは小野浩さんが気仙沼に行くということだったので、お願いして私も車に乗せてもらい、同道することにしました。
小野さんは福島県いわき市小名浜在住ですが、知人の所有する漁船がたまたま気仙沼港に停泊中に津波で流され、内陸部に取り残されたままになっているのだそうです。今回は、何とかしてその漁船と「再会」を果たしたいとの思いから、気仙沼を目ざすのです。小野さんのお父さんも漁船を持っておられたので、昔から小野さんも漁船には詳しく、このたび気仙沼で被災した漁船――「第十八共徳丸」が小名浜港に停船していた時には、よく眺めたということでした。(在りし日の「第十八共徳丸」の写真はこちら。)
昼食もとらずにイーハトーブ館を出たので、車内で小野さんにあんパンをもらってかじりながら東北自動車道を南下、一関からは国道284号線を東に走りました。
花巻からおよそ2時間あまりで、気仙沼に着きました。
気仙沼では地震による地盤沈下が著しく、海岸に近い地区一帯は冠水したままでした。
海岸近くの冷凍工場。
カラスが一羽。
コスモスの花。
人気のない海辺で測量をしていた方々に、「陸に取り残された大きな漁船」の場所を尋ねて、冠水した道路を試行錯誤しながら走っていると、遠くに船の姿が見えてきました。
「第十八共徳丸」です。紺碧の船体の色は、この船を所有する「儀助漁業株式会社」のシンボルカラーなのだそうです。
これほど大きな船が、海岸から500mも内陸まで流されるとは信じられませんが、むしろ大きいからこそ、いったん津波に乗ってしまうと陸上の構造物にぶつかっても止められず、あらゆる物をなぎ倒しながらはるか奥まで到達したのでしょう。
JR大船渡線の「鹿折唐桑」という駅の駅前道路を、完全に塞ぐ形で鎮座しています。気仙沼市は、この周囲一帯を公園にして、船体をモニュメントとして保存することも検討しているということです。
かくして小野さんは、故郷の小名浜港から来た「第十八共徳丸」に、めぐり逢うことができました。
合掌して船を後にして車に向かっていると、歩道にはなぜか「アンパンマン」のぬいぐるみが落ちていました。
震災後、沿岸部を訪ねたのは私として初めてでしたが、ここで目にした情景は、ずっと忘れず心に刻んでおかなければならないと感じました。
chihiro
不謹慎かもしれませんが、上から三枚の写真がとても美しいと感じました。
hamagaki
chihiro さま、コメントありがとうございます。
海岸に近い区域ではほとんど人影も見えず、昼間でもあたりを静寂が支配していました。カラスの姿が見えたくらいで。
誰もいない場所に延々と続く壊れた建物を見て行くと、言いようのない感情が胸に湧いてきました。
この日は、激しいにわか雨が降ったりして不安定な天候でしたが、空の雲に何か不吉なメッセージが込められているような、落ち着かない気持ちにもなりました。