数ページほどの短篇作品「耕耘部の時計」は、賢治の1923年(大正12年)頃の作と推定されています。
小岩井農場とおぼしき大きな農場の農夫室に、立派な「巴里製」の時計が掛かっています。ある日、赤シャツを着た若い農夫が新入りでやってきたのですが、朝や昼にその掛時計と自分の腕時計とを見較べると、いつも不思議な「ずれ」があるのです。時によって、針が進んでいたり遅れていたりする、怪しい時計です。いったいどうなっているのかとその新入りは訝りつつ一日の仕事を終えて、農夫室でくつろぎながらふと時計を見ると、目の前でその動きの正体が判明しました。
何のことはない、時計の針のねじが緩んでいて、針はある場所で一気に飛んでしまうという可笑しな動きをしていたのです。
作品は、軽いミステリー仕立てで進行しつつ、その登場人物においては、合理的な発想や好奇心を持つ若い農夫と、ありのままの不合理を受け入れつつ日々を送る古い農夫たちとの対照が、鮮やかに描かれています。古い農夫たちは、若い農夫の一挙手一投足をを揶揄したり、時に冷笑する態度を見せますが、それは陰湿な疎外になってしまう一歩手前で止められていて、作品の明るさを保っています。
しかしこの両者の微妙な関係には、賢治自身が周囲の農民たちに抱いていた印象が、どこか投影されているのかもしれません。
ところで本日とり上げる問題は、この物語の重要な小道具である「ねじの緩んだ時計」の針は、具体的にはどんな動きをしていたのだろうか、ということです。50分の位置から一気に15分の位置に飛ぶところは最後に明らかになりますが、話を細かく読んで考えてみると、実はそれ以外の時も、かなり複雑な動きをしているみたいなのです。
まずお話の中から、時計の動きを記述している箇所を、抜き出してみましょう。
一、午前八時五分
(前略)
赤シャツは右腕をあげて自分の腕時計を見て何気なくつぶやきました。
「あいつは十五分進んでゐるな。」 それから腕時計の竜頭を引っぱって針を直さうとしました。
(後略)二、午前十二時
(前略)
その時、向ふの農夫室のうしろの雪の高みの上に立てられた高い柱の上の小さな鐘が、前後にゆれ出し音はカランカランカランカランとうつくしく雪を渡って来ました。(中略)赤シャツの農夫はすこしわらってそれを見送ってゐましたが、ふと思ひ出したやうに右手をあげて自分の腕時計を見ました。そして不思議そうに、
「今度は合ってゐるな」とつぶやきました。三、午后零時五十分
(前略)
「さあぢき一時だ、みんな仕事に行って呉れ。」農夫長が云ひました。
赤シャツの農夫はまたこっそりと自分の腕時計を見ました。
たしかに腕時計は一時五分前なのにその大きな時計は一時二十分前でした。農夫長はぢき一時だと云ひ、時計もたしかにがちっと鳴り、それに針は二十分前、今朝は進んでさっきは合ひ、今度は十五分おくれてゐる、赤シャツはぼんやりダイヤルを見てゐました。四、
(略)
その時です。あの蒼白い美しい柱時計がガンガンガンガン六時を打ちました。
藁の上の若い農夫はぎょっとしました。そして急いで自分の腕時計を調べて、それからまるで食ひ込むやうに向うの怪しい時計を見つめました。腕時計も六時、柱時計の音も六時なのにその針は五時四十五分です。今度はおくれたのです。さっき仕事を終って帰ったときは十分進んでゐました。さあ、今だ。赤シャツの農夫はだまって針をにらみつけました。二人の炉ばたの百姓たちは、それを見て又面白そうに笑ったのです。
さあ、その時です。いままで五時五十分を指していた長い針が俄かに電(いなづま)のように飛んで、一ぺんに六時十五分の所まで来てぴたっととまりました。
「何だ、この時計、針のねじが緩んでるんだ。」
物語には、異なった時刻を示す時計が出てくるので、念のため最初に確認しておかなければならないのは、章題となっている「午前八時五分」とか「午前十二時」「午后零時五十分」という時刻は、どの時計の示している時間なのか、ということです。
これに関しては、「二、午前十二時」でお昼の鐘を聴いた若い農夫が、「今度は合ってるな」とつぶやいていること、それから「三、午后零時五十分」では昼休みをとっている農夫が、少し時間がたって「腕時計は一時五分前」で柱時計は「一時二十分前」と確認していることから、「章題の時刻は、若い農夫の腕時計の時刻=正しい時刻を示している」と考えられます。
あと些細なことですがもう一つ。「一、午前八時五分」では、若い農夫は農場の掛時計が15分進んでいることを確認した後、「腕時計の竜頭を引っぱって針を直さうとしました」とありますが、ここで彼は自分の腕時計の時刻を修正したのでしょうか。
彼は、自分の腕時計の方が正しく、掛時計の方が間違っていることを知っています。それでも、職場の時間に従うために、あえて正しくない掛時計の方に自分の時計を合わせるという行動をとる可能性もありますが、もしここでそうしたとすれば、「三、」以降で、正しい時刻と掛時計の時刻を比較することはできなくなってしまいます。
したがって、この最初の場面では、農夫は自分の腕時計の「針を直さうと」はしたものの、実際には針は動かさなかったと考えられるのです。
ということで、「耕耘部の時計」の動きについて、物語中で記述されていることをあらためて整理しなおすと、次のようになります。
- 午前8時5分には、15分進んでいた。すなわち8時20分を指していた。
- 午前12時に何時何分を指していたかはわからないが、農夫室にいた人は正確な時刻を知ることができて、鐘を鳴らした。
- 午後0時55分には、0時40分を指していた。
- 若い農夫が仕事を終えて農夫室に帰ってきた時には(時刻不明)、時計は10分進んでいた。
- 午後6時には、5時45分を指していた。そしてこの時、6時の時報が鳴った。
- その後、長針は5時50分の位置から6時15分の位置まで、一気に飛んだ。
それからあともう一点だけ、考えておきたいことがあります。もしも「耕耘部の時計」が、ねじの緩みのためとは言え、8時台、9時台、10時台・・・と、それぞれ異なった長針の狂い方をしているのだとしたら、読者としてはこの時計の具体的な動きに関して、上に箇条書きにしたこと以上を知ることは不可能です。考察もここで終わりにせざるをえません。
しかし幸いなことに、物語を読むと、農場で働いている農夫たちはこの時計を見て、容易に正しい時刻を「分単位で」読みとっているようなのです。すなわち、この時計の長針の動きは、何時台でも共通しているのだろうと推測することができます。
◇ ◇
さて、以上の予備的考察をもとにして、「耕耘部の時計」の長針の動きを考えてみると、以下のようになります。正しい時刻では0分にあたる、「耕耘部の時計の45分」から、順を追って見てみましょう。
- 本来のX時0分には、耕耘部の時計は(X-1)時45分を指し、この時、時計はX回の時報を打つ(「四、」より)。
- 長針は、45分から50分の位置まで動いた後(A)、ここから15分の位置まで(B)、時計回りに一気に飛ぶ(「四、」より)。
- 次に長針は、15分から20分の位置まで進む(C)。針が20分にある時、本来の時刻はX時5分である(「一、八時五分」より)。
- したがって、長針が(A)(B)(C)の区域を回るのに要する時間は計5分である。このうち、(B)に要する時間は一瞬であるので、(A)と(C)を合わせた時間がほぼ5分ということになる。つまり、(A)(C)区間の長針の平均角速度は、正常な時計の2倍になっている。
- 続いて、長針が(D)の区間を回って40分の位置に来た時、正しい時刻はX時55分である(「三、午后零時五十分」の記述より)。したがって長針は、盤面上では20分間である(D)の区間を、50分かけて回ったわけである。すなわち、(D)区間の長針の平均角速度は、正常な時計の0.4倍になっている。
- さらに、X時55分に40分の位置にあった長針は、(X+1)時0分に、45分の位置に至る。すなわち、(E)区間は5分かけて動くわけであり、正常な時計の長針と同じ角速度である。
以上が、「耕耘部の時計」の記述から読み取れる、1時間における長針の動きです。
今回私は、この動きを再現する「時計の模型」を、Flash+ActionScript を用いて作ってみました。具体的シミュレーションをするにあたり、ここでは上の設定に以下の条件を追加しました。
- (A)(B)(C)(D)(E)の各区間内では、長針は等角速度運動をすることとした。
- (B)区間で、長針が50分位置から15分位置まで動くのに要する時間を、1秒とした。
いずれも、時計の動きを単純化するための設定です。
ということで、下のボタンを押していただくと、「耕耘部の時計」の模型が、別ウィンドウで表示されます。
長針が45分になったところで時報が鳴りますので、「音」にご注意下さい。また、盤面下部に表示されるデジタル時計は、もちろん当時の「耕耘部の時計」には付いているはずもありませんが、これが本来の「正しい時刻」を表示しています。盤面の針と、見較べてみて下さい。
時計がちゃんと表示されない場合、お使い Flash Player のヴァージョンが古いことが原因かもしれません。こちらのページから、新しい版をダウンロードしてみて下さい。
◇ ◇
ということで、他愛もないおもちゃを作ってみたわけですが、このようなシミュレーションをしてみたことによる、思わぬ収穫もありました。
ミステリー仕立てのこの短篇は、最後に「種明かし」がなされて終わるのですが、それでも物語上はわからないままになっていることが、一つだけあります。 それは、「四、」において、若い農夫が「さっき仕事を終って帰ったときは十分進んでゐました」と回想している、この「仕事を終えて帰ってきた」時刻は、いつなのかということです。
ここで、上記のモデルに従えば、すなわち(D)の区間で長針は等速で運行していたと仮定すると、「耕耘部の時計が10分進んで見えた」時刻がいつなのか、という問題を解くことが可能になります。
それは、正しい時刻では、5時13分に起こる現象なのです。
「耕耘部の時計」は、本来の5時5分には、5時20分を指しています(「一、八時五分」と同様)。
それから8分(=480秒)が経過した時、正しい時刻は、もちろん5時13分です。そしてこの時、「耕耘部の時計」は、5時20分の位置から480秒×0.4=192秒(3分12秒)進んでいますから、5時23分を指しています。すなわち、「耕耘部の時計」は、「10分進んで」いるわけです。
この時刻より後は、「耕耘部の時計」はどんどん正常な時計に追いつかれていき、30分では逆転されてしまいますので、「10分進んで」見える時刻は、ここしかありません。
すなわち、若い農夫が仕事を終えて農夫室に帰ってきたのは、5時13分台のことではないかと推測されるのです。
ところでこの物語の章題において、「一、」「二、」「三、」にはそれぞれ時刻が書いてあるのに、「四、」だけには書いてありません。岡澤敏男氏は、「〈賢治の置土産~七つ森から溶岩流まで〉134 六原から転入してきた男」(盛岡タイムス2009年11月14日)において、この「四、」の時刻について「午后五時?」と記しておられます。大正後期の小岩井農場における農夫の冬期の就業時間を考えて、そう推測されたようです。
もしも、午後5時が仕事の終わる時刻だったとすれば、それから若い農夫が農夫室に引き上げてきたら5時13分だったというのは、ちょうど話が合いそうな頃合いではありませんか。
それから、彼は石炭炉の火にあたりながら、手帳に今日の仕事をメモしたり、他の農夫の話に耳を傾けたりしてくつろいでいるうちに、午後6時(耕耘部の時計では5時45分)を迎え、時報の音に驚かされるのです・・・。
ガハク
お見事です!
しかし僕はこの針の動きをこんなに具体的に推理することなく物語を読んでました。
ここまで細かく記述されたのも初めてじゃないでしょうか?
ご指摘の様に集団からの疎外感を余り強調しないでいるのも、この針の動きを読者に想像させる為に深入りしてないのかも知れませんね。
しかしまあ色んな事をやってみる人ですねブログ主さんは。これを見たら賢さも目を見張って面白がることでしょう、きっと。
hamagaki
ガハク様、いつもありがとうございます。
私も、ついこの間まではこの作品で実際に針がどう動いているかなんて全く意識したことはなかったのですが、今月の初め頃にその動きが気になり出して、それからさらにその動作を再現して見せてくれる「モノ」を作ってみたいと思うようになったものですから、しばらくの間は試行錯誤ばかりしていました。
しかしこんな歳にもなってから、コンピュータに関する新しい「手習い」を始めるなんていうのは、至難ですねw。Flash やそれを動かす ActionScript に関する本は、3冊も買ってしまったのですが・・・。
ということで、ご存じのようにブログ更新も滞り、ツイッターも鳴かず飛ばずという「アングラ生活」の日々があったわけです。しかし、ここにひとまずは完成したので、最近はツイッターリハビリ中の今日この頃です。
signaless
素晴らしい「再現」です。My PCに常駐させておきたいくらいです。
いつものことながら、浜垣さんの推理と情熱には頭が下がります。
賢治が小岩井農場の耕耘部に愛着があったことが岡澤敏男さんの記事からもよくわかりますね。なんと大正12年に火事で焼失してしまったとか。http://www.morioka-times.com/news/2009/0912/12/09121203.htm
その焼失後に耕耘部を惜別し執筆したのではないか、という岡澤氏の推測はそうに違いないと思います。賢治の小岩井農場への深い愛情を感じます。
ちょうど私は岡澤氏の『賢治歩行詩考ー長編詩「小岩井農場」の原風景』を読んでいたところです。
いつかきっと、賢治がたどった道を同じように歩いてみたいと思います。
hamagaki
signaless 様、ありがとうございます。
耕耘部が焼失してしまったことは、本当に残念ですね。今でも他には明治時代に作られた建物がたくさん残っている小岩井農場ですから、火災さえなければ、「耕耘部の時計」が残っていたかもしれないのですから・・・。
小岩井農場の賢治がたどった道は、私もその一部だけですが、歩いてみたことがあります。今、自分があの作品を追体験しているんだというだけで、感無量でした。
mishimahiroshi
今回のエントリーに関しては言葉もありません。
時計への興味だけでなく、フラッシュでこさえてしまうなんて。