今朝の「岩手日報」によると、昨日イギリス海岸を訪れた自動車は6000台、うち7割は県外ナンバーだったということです。そりゃあ混雑していたわけですね。
さて、今日は宮沢賢治賞・イーハトーブ賞等の贈呈式、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの定期総会や懇親会などが行われる日です。
10時前に花巻駅前の「なはんプラザ」へ行き、開会を待っていました。
例年ならば、式の最中もとくに写真撮影の制限はありませんでしたので、吉本隆明さんや桑島法子さんをしっかりカメラに収めようとはりきっていたのですが、開会直前に、「ビデオやカメラの撮影は禁止」とのアナウンスがありました。とても残念でしたが、それで式に関しては、上に載せた開会前の写真だけです。
吉本隆明さんは新幹線の都合で遅れて会場に到着されるとのことで、各奨励賞のお二人の授賞式から始まりました。
岡村民夫さんに関しては、後の「リレー講演」の部分で触れるとして、まずは桑島法子さんの「受賞の挨拶」が、感動的でした。
これまで公式には年齢は非公表だったはずの桑島さんが、今回は印刷されたパンフレットでも、そして挨拶の中でも、ご自身の現在の年齢をはっきりと繰り返しながら、今回の受賞を人生に位置づけて語るとことが、一つ印象的でした。
そして、いったんは挨拶が終わったように見えてマイクの電源も切れてから、もう一度「私ごとですが…」と前置きして、切実な言葉が述べられました。それはおおむね次のような内容だったように思います。
「どなたか、花巻の『劇団らあす』の牛崎志津子さんにお伝え下さい。その公演があるたびに駆けつけ、『金ヶ崎の桑島です』と言ってりんどうの花束を渡していた少女は、いま、このような場に呼んでいただけるまでになりました。夢への何のとっかかりもなく不安だらけだった私が、声優になるという勇気と希望を持てたのは、牛崎先生のおかげです。」 そして桑島さんは、まさに壇上で声を詰まらせたのです。
すでに、声優の世界ではスターとしての位置を十分に確立し、もう安定した活躍をずっと続けていたはずの彼女の口から、今になってこのような言葉が述べられるとは、本当に驚きでした。彼女が今回の受賞に対して、相当に何か期するものがあったのだろうということを、あらためて感じました。
月並みながら、「本当におめでとうございます」という言葉を、謹んで申し上げます。
10時40分頃には吉本隆明さんが車椅子で会場に到着され、あらためて「宮沢賢治賞」の授賞が執り行われました。
授賞の挨拶からそのまま「特別講演」になだれこんだの吉本さんのお話は、「列車が着く間際になってからビールを飲んじゃって…」という前置きと関連していたのかいないのか、たしかに話題がどんどんふくらんで、こちらも追いかけていくのに必死になるという面はあったものの、現在もこの85歳の偉大な思想家の脳の中では、あふれるがごとくいろんなイメージが湧き出していることを感じさせました。
お話は、吉本氏が青年時代に好きな賢治の詩を部屋の天井に貼って、いつもそれを仰いで眺めながら、「いつか自分も宮沢さんのような人になれるだろうか」と思っていたが、後からわかってみればそれは「青春のいたずら」で、とんでもない段違いの人だった、というエピソードの紹介から始まりました。
そのような話をしながら吉本氏は、ずっと車椅子から仰向けになるほどにホールの天井を見上げつつ、両手を差し上げてまるで高みにあるものを掴もうとするような仕草を続け、そのまま次の「横と縦の関係」という話に入って行かれました。
「普通の人間は、社会であれ、家族であれ、男女であれ、『横の関係』を志向するが、宮沢さんという人は、銀河系とか、つねに『縦の関係』を志向していた」という、やや抽象的なお話です。これは簡単に言い換えてしまえば、賢治はいつもどこか「超越的なもの」を志向しつづけていたということを言わんとされているのかもしれませんが、もっと深い意味があるのかもしれません。
しかしいずれにしても、「横の関係を志向しない」ということは、いくら表面的には誰にも優しく献身的に接し、皆に慕われていても、本質的には非常に孤独でありつづける、ということになるのでしょう。そこに、賢治の多くの作品の根底に流れる「かなしみ」や「孤独」が関係しているのかもしれません。そして同時に、上へ上へと手を伸ばしながら語り続ける吉本氏の姿を見ていると、ひょっとしてこの話は若き日の詩人・吉本隆明にも重なっているのかもしれない、という気がしたりもしたのでした。
その他にも吉本氏のお話は、「宗教と科学の関係」や、「ほんとうのほんとう」という賢治の言葉についてや、いつ尽きるともなく続いたのですが、帰りの新幹線の時間があるということで係員から耳打ちされて、特別講演とともに授賞式は終了しました。
もし可能ならばサインをもらおうと、吉本隆明著『宮沢賢治』(1989)の単行本や、桑島法子『イーハトーブ朗読紀行』のDVDなどを持参していたのですが、とてもそんな時間はありませんでした。
◇ ◇
午後の「賢治研究リレー講演」では、まず「宮沢賢治賞奨励賞」を受賞された岡村民夫さんが、「黄瀛の光栄」と題して話をされました。
「駄洒落が好きなもので」とユーモラスにおっしゃしましたが、これは賢治と同時代に生きた中国の詩人である黄瀛(コウエイ)が花巻温泉に宿泊した機会に賢治を訪ね(ここにも「温泉力」が!)、最後に賢治が「黄瀛さんにお会いできて光栄です」と駄洒落(?)を言ったという由緒を下敷きにしておられます。
そして、黄瀛が帰国してから刊行した第二詩集の最後に、「私は中華民国国民に生まれた光栄を感じる」と記していたことは、この時の賢治の言葉への秘められた答礼であったのかもしれない、という魅力的な推測を述べられて講演は終わりました。さらにもう一段これには落ちがあって、午前中に岡村氏が受賞の挨拶の最後で、「受賞できて光栄です」と述べられたのは、この午後の講演への「伏線」だったという、駄洒落どころかオシャレなお話でした。
この後、故宮城一男氏制作による「津軽・山田野を訪ねて」というスライドの上映があり、清六氏が弘前師団で兵営に就いていた頃、賢治が兵舎を訪ねた跡をたどり、清六氏が現地を再訪した際の写真などが紹介されました。私もこの場所にはいつか行ってみたいと思っていましたので、旅情をかきたてられました。
司会の方が言われたとおり、中央に飾られた賢治の写真と清六氏が、まるで見つめ合っているようです。
この後、「イーハトーブ・サロン ―私と賢治―」で7名の方がそれぞれの賢治との関わりについて話をされ、5時半からは、恒例の「参加者交流・懇親会」です。
例年のように中野由貴さんの企画で、今年のテーマは「銀河鉄道の食堂車」です。「銀河鉄道の夜」に出てくるいろいろな食べ物が趣向を凝らして並べられ、その中でも人気と注目を集めたのが、「白金豚の塩竃焼き プリオシン海岸風」でした。これは、塩で固められてオーブンで蒸し焼きにされた豚三枚肉の塊を、ハンマーで割って取り出すところを、プリオシン海岸における「化石の発掘」に見立てたものです。(下がその「発掘」シーン)
その他にも、「ホワイトチョコレートの雁」、童話に出てくる野菜等を使ったサラダなど、いつもながら美味しいものがいっぱいでした。そして、岩手の雑穀や「陸羽132号のおにぎり」や、星の名前の飲み物、地酒などですね。
懇親会途中にもいろんな演し物がありましたが、最後は、やはり例によって「精神歌」です。
終了後二次会は、賢治学会「湯治組」の方々にお誘いいただき、鉛温泉にて楽しく癒されるひとときをすごしました。Oさん、Nさん、男性のOさん、ありがとうございました。
プリンパフェ・托鉢風
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