なかなかちゃんとした更新ができず申しわけありません。
今日は、鈴木憲夫作曲混声合唱曲「雨ニモマケズ」を、DTM に打ち込む作業をしていました。しばらく前から少しずつやっているのですが、まだ当分はかかりそうです。でもとても美しい曲ですので、ご期待ください。
あとは、こういうブログなどをやっていると、皆様もご経験かと思いますが、スパムコメントとか、スパムトラックバックなどが厖大にやってくるので、これを防ぐための工夫などをいろいろとしていました。
スパムは、一日に何百という単位で送りつけられて来ます。幸い、このブログで採用している Movable Type というシステムのスパムフィルタは優秀で、これだけのスパムが襲来しても、コメントやトラックバックとして表に出てしまうことはほとんどなく、裏でスパムとして処理をしてくれます。しかしそれでも、これほどの処理を常時行っていると、サーバーにかける負担も大きく、たとえばコメントをいただいた時にも、なかなか表示されなかったりしているかもしれません。
そこで当ブログでは、そもそもスパムを送りつけられること自体を回避するために、コメントやトラックバックを処理する CGI の URL を、ソースから見えなくするための細工をしていました。
コメントに関しては、JavaScript の外部ファイルで処理するようにして、その外部ファイルも普通には見ることのできないディレクトリに置いてあります。
トラックバックにも JavaScript 外部ファイルを使っているのですが、さすがにこれに関してはトラックバック用の URL を閲覧者に知らせないわけにはいかないので、デフォルトでは非表示にしておき、個別記事の下にある「この記事へのトラックバックURLを表示」と書かれたボタンを押した時に、初めて表示されるようにしました。
このような細工をしてみたら、それまで毎日1000近くも来ていたスパムも、その後はまったく来なくなりました。(^^)
しかしこんどは、トップページに表示してある「タグクラウド」のソースに出ていた「タグのついた記事」検索用 CGI が、ねらい打ちされるようになってきました。先月のアクセスログを見ると、この CGI だけで1ヵ月あたり4万8000ものアクセスがあり、ひどい時には1回の訪問で1万7000回以上ものヒットを受けていました。これも、表に出る被害はないのですが、やはりサーバーへの負荷が心配です。
ということで、この2~3日は、また JavaScript を使って、タグクラウド部分のソースに URL が出ないように加工していました。これには、かなり試行錯誤を要しました。おまけに、トップページの表示に、やや時間がかかるようになってしまった気もします。
しかし、しばらくはこれでやってみようと思っています。
かぐら川
賢治から離れた話題のようですので(笑)、当方も賢治とは無縁の?雑談を。
拙ブログでもふれましたが、フィーバー中の「おくりびと」。本木雅弘さんが「納棺」というテーマをすくいあげたきっかけは、葬儀会社で納棺にたずさわっていた青木新門という人が書いたエッセイのような小説のような作品、『納棺夫日記』でした。私は、この本を賢治読みなおしのきっかけとして、15年前に読んだのですが、もっともっと深くこの本から「光」をつかんだのが、本木さんだったようです。きょう自分の日記にリンク引用した本木さんと中沢新一、糸井重里との鼎談を全部読みとおして、チェロと賢治の関わりをふくめて、この映画を見てみたいと思いました。が、やはり映画は映画として、賢治を死のテーマでとらえた青木さんの本をこそ読み返したと思っています。
そのことによって――実は、賢治の作品のなかでもトシの「挽歌群」をいまだ読めずにいるのですが、――ちょっとはその入口に立てるのではないかと思えるのです。
鼎談「死を想う」は:
http://www.1101.com/okuribito/index.html
hamagaki
かぐら川さん、こんばんは。
実は、かぐら川さんの書き込みに思わず触発されて、今日、映画「おくりびと」を見に行ってきました。(^^)
そのことについては記事に書きましたが、その中でかぐら川さんのブログから、青木新門著『納棺夫日記』の賢治に触れた一節を引用させていただきました。勝手ながらお許し下さい。トラックバックも送らせていただきました。
それにしても、おのずから賢治と親鸞という二人に行き着くというのは、青木氏のお仕事の奥の深さを感じます。
ところでやはり映画の「おくりびと」と、青木新門著『納棺夫日記』はまったく別のものですから、こんどは『納棺夫日記』の方を読んでみたいと思っています。
ちなみに、青木氏の著書名にある「納棺夫」という言葉と、この職業の最近の呼び方であり映画でも使われていた「納棺師」という言葉との違いは、この16年間にこの仕事が社会の中で認知されてきたという現実を、示しているかのようですね。