前回とりあげた吟遊詩人オルフェウスは、竪琴の名手でした。愛するエウリディケを亡くした時に、生きた現世の人間でありながら冥界へまで行けたのは、その竪琴の力のおかげだったのです。
まず、生者の世界と死者の世界を隔てる大河ステュクスを渡る際にも、川の渡し守カローンが、生きている者は冥界に渡せないと言って拒否すると、オルフェウスは竪琴を弾きはじめ、その調べにカローンが思わず聴き入っている間に、オルフェウスは舟を奪って川を渡りました。また、獰猛な地獄の番犬ケルベロスさえも、竪琴の音色を聴くとおとなしくなって道をあけ、ついに彼は冥界の王のもとまでたどり着くことができたのです。
ただ哀れなことに物語の最後、エウリディケを永久に失って現世に戻ったオルフェウスは、ふとしたことからディオニュソス神の怒りをかって、ディオニュソスを崇拝する女たち(マイナス)によって、八つ裂きにされ殺されてしまいます。
その頭部と竪琴はヘブロス川を流れ下り、それぞれレスボス島に流れ着きました。竪琴は、ゼウスによって天に挙げられ、「琴座」になります。
ギュスターヴ・モロー「オルフェ」(オルフェの首がその竪琴に載せて運ばれる)
さて一方、「銀河鉄道の夜」が、オルフェウス伝説とのアナロジーを秘めていることは、これまでも研究者によって指摘されてきました。
前回は、オルフェウス伝説と賢治の「オホーツク挽歌行」とを関連づけて述べましたが、一方で「オホーツク挽歌行」と「銀河鉄道の夜」も深く関係していると考えられています(たとえば萩原昌好著『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」への旅』)。
これら二者どうしの類同性がそれぞれ成り立つのなら、あたかも環が閉じるように、「銀河鉄道の夜」とオルフェウス伝説との間に関連が認められるのも、理屈からは当然ということになります。
実際、天沢退二郎氏は、「『銀河鉄道の夜』覚書」(『討議『銀河鉄道の夜』とは何か』所収)において、「銀河鉄道の夜」におけるジョバンニの深い孤独感に注目し、
その孤独感こそあの、詩人としての、すなわち詩作が否応なしに彼をひきずりこみ紛れあわせた異次空間の本質的な孤独そのもののあらわれだという視点だと思われる。
と指摘した後、
この視点に立つならば、『銀河鉄道の夜』がおそらくは作者の意識的構図としてではなく、オルフェ神話の典型的な型を踏襲していることが重大な意味を持ってこよう。当然ながら、死んでいくカンパネルラはユーリディスであり、彼を愛し死の国をともに旅しながらついに相手を見失って現実の生の世界へ戻るジョバンニがオルフェである。
と述べておられます。
「銀河鉄道の夜」をオルフェウス伝説との関連において読むことの、このように「重大な意味」についての詳細は天沢退二郎氏の論をお読みいただくとして、ここで私がもっと些細なとりとめもないことで気になるのは、「銀河鉄道の夜」において意味ありげに登場する、「琴の星」です。
物語の前半部、「五、天気輪の柱」において、孤独なジョバンニは天気輪の柱のある丘に登り、どかどかするからだをつめたい草に投げます。
あゝあの白い空の帯がみんな星だといふぞ。
ところがいくら見てゐても、そのそらはひる先生の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは、青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんもでたり引っ込んだりして、たうとう蕈のやうに長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのやうに見えるやうに思ひました。
で、この直後から「六、銀河ステーション」の章が始まるのです。ジョバンニは天気輪の柱が三角標の形になって、ぺかぺか消えたりともったりするのを見て、どこかでふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云うのを聴くやいなや、「ふといきなり眼の前がぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を・・・」と、場面が展開します。物語は、銀河鉄道の中の世界に移行していくのです。
この、場面転換の開始の徴候となっているのが、「青い琴の星」が不可解な挙動をしたあげく「蕈のやうに長く延びる」という現象で、つまり、まるでこの「琴の星」が、現実世界から銀河鉄道へ移行するために、何か不思議な作用をしているようにも思えるのです。
オルフェウスの竪琴が、現世から冥界へ入る上で不可欠な力を持った道具であったように、その竪琴が星になったもの(琴の星)が、「銀河鉄道の夜」においても、やはり生者の世界から死者の世界へ入るための鍵を握っているようで、私としては面白く思った次第です。
ただこれはおそらく、天沢退二郎氏も書いておられるように、「作者の意識的構図としてではなく」なのでしょうが・・・。
(琴座の図は、「Stella Theater Pro」による。)
いわい
音楽は音波、星のまたたきの光の色も波長。
宮沢賢治の詩は、声に出して詠みたくなる。波の世界でもあるように思えます。
妻と別れて冥界から戻ったオルフェウスも、やがて冥界に行くことに。この場合、死は愛するものとの再会でもあります。賢治も・・・。
現世と冥界は、意識の違い。私には、紙一重の差のように思えます。
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追伸:
『詩物語 啄木と賢治』というSANKEI EXPRESS(新聞)の連載記事で、賢治ファンになった一年生です。
ブログというより、宮沢賢治研究論文集。すばらしいですね。Wordにコピーさせて頂きました。じっくり拝読します。ありがとうございました (*^_^*)
かぐら川
賢治とオルフェウス物語(ないし広くとればギリシャ神話)との牽連性、以前より関心をもっていますので、いつものことながら深く踏み込んだ論考にいろんなことを考えながら拝読させていただきました。
〔牽連性〕という変なことばを使ったのは、ギリシャ神話をおそらく熟知しながらもあえて正面からギリシャ神話に言及しようとしない賢治に掘り下げてみたい関心があるからです。この点、ゆっくりと考えていきたいと思っていますので、また教えてください。
hamagaki
>いわい様、はじめまして。
美しい文章をありがとうございます。
SANkEI EXPRESS とは、いま調べてみましたら、とてもおしゃれな感じの新聞なのですね。賢治に関する連載が行われていたとは、知りませんでした。
私は、ここにただ思いついたことを好き勝手に書いているにすぎませんが、賢治ファン同士として、これからもよろしくお願い申し上げます。
>かぐら川さま、こんばんは。
「ケンタウル祭」などという、どこかにありそうでないような不思議な「祭」を小道具にするあたり、たしかにギリシア神話(とりわけ星に関連する部分)に関する知識を豊富に持っていて、しかもそれをもとに、新たに独自の世界を構築する感じですね。
ところで、「牽牛星」は、今回とりあげた「琴の星=ヴェガ」、「デネブ(白鳥座)」とともに、「夏の大三角形」を形づくります。夏の銀河でいちばん華やかなあたりで、「銀河鉄道の夜」とも関連深い場所ですね。牽かれついでに、連想が広がります。
すずり
こんにちは。
まれにしかコメントさせていただかないのに毎回、記事の新旧かまわずなところご容赦ください。
銀河鉄道の旅が琴座から始まる点については私もときどき考えるのですが、、ギリシャ神話のオルフェウスになぞらえるという発想を今回初めて知りました。とても興味深いですね。
特に『オルフェウスの竪琴が、現世から冥界へ入る上で不可欠な力を持った道具であったように~「銀河鉄道の夜」においても、やはり生者の世界から死者の世界へ入るための鍵を握っているよう』というhamagakiさんの言葉は物語の流れにとても合っていて共感しました。
星座にまつわる話はギリシャ神話のものが多いというのに、なぜ琴座に関して自分はオルフェウスの話へ今まで意識が向かなかったのだろうと思ってしまうくらいです。
ところで、銀河鉄道の旅のはじまりの象徴ともいえる三角標ですが・・・
初期の頃の原稿では『天気輪の柱が』三角標へ形を変えますが、改稿を重ねるうちに『琴座自身が』三角標へ姿を変えるようになる変遷を私はとても面白く感じています。
そこにはどんな意図があったのか気になるところです。
hamagakiさんに何か思い当たるお考えがあればぜひお聞きしたいです(^-^)
hamagaki
すずりさん、こんばんは。
お返事が遅くなってしまいまして申しわけありませんでした。
「三角標」が最初に登場する場面の様子が、初期形と後期形で異なっているんですね。今回のすずりさんのご指摘によって、私自身初めて認識しました。
確認してみますと、「初期形三」では、「琴の星」の「ぼんやり蕈のかたちをしてゐた、その青じろいひかりが、にはかにはっきりした三角標の形」になるのに対して、「後期形(第四次稿)」では、「天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形」になるのですね。
確かに、作者がどういう意図でこのような変更を行ったのか、興味がわいてきます。
地上から見ると「星」である存在が、天上に行くと「三角標」として見える、というのが「銀河鉄道の夜」における「三角標」の位置づけだと思いますので、ジョバンニが地上から見ていた「琴の星」が「三角標」に姿を変えた時、実は彼は天上に来ていたのだという「初期形」のパターンは、この規則のとおりになっています。
これに対して、「天気輪の柱」が「三角標」になるという後期形のパターンは、上の規則からは外れてしまいますね。
初期形では、ジョバンニを地上から天上に移動させるのはブルカニロ博士の力だったのが、後期形ではブルカニロ博士がいなくなってしまったので、かわりに「天気輪の柱」という装置にそのような特別な役割が与えられたのかなと思ったりもしますが、よくわかりません。
またお考えがあれば、お聞かせいただければ幸いです。
すずり
体調崩しており返信遅くなりました。
初期型が琴の星、後期形が天気輪ですね。肝心な部分を入れ違いに書いてしまいすみません。
私自身もまだこの変遷についての考えがまとまっていないのですが、
初期型で琴の星が三角表に姿を変えるという大きな役割を持っていたのは、『琴座が七夕を代表する星であり、また、ちょうどこの時期の19~20時に天頂に位置する星だから』ではないかといの見方をしています。(オルフェウスの話が念頭になかった段階での見解です)
ここで七夕が出てくるのは、ケンタウル祭というのは旧暦の七夕から送り盆にかけての『一連のお盆行事』をモデルにしているのではないかと私が考えているためです。
ただ、それがどうして天気輪へ役割が変わっていったのかまでは考えが及んでいないのですが・・・
オルフェウスのお話と、ご返信にあった博士の存在の有無という点から考えるのもとても興味深いのでそちらの面からも想像を膨らませて見たいと思います。
hamagaki
すずりさん、こんにちは。
なぜ「銀河鉄道の夜」のこの箇所に「琴の星」が出てくるのか、という問題の答えは、おそらくすずりさんが書かれたようなことなのではないかと、私も思います。
上の元記事に書いたように、オルフェウス伝説において「琴」は生者の世界から死者の世界に入るための鍵になっているから…、というのは、作者も意図せぬ偶然の一致だったのではないかというのが、私としても正直なところです。
ところで念のため確認しておきますと、最初のすずりさんのコメントのように、「三角標が(初めて)登場する」ということは、確かに「銀河鉄道の旅の始まりの象徴」とも言えますが、「星が三角標に姿を変える」という特徴そのものは、何も琴の星に限ったことではなく、地上から見た全ての<星>が、天上で銀河鉄道から見れば<三角標>として見える、ということだと思います。
つまり、この物語で「琴の星」が他の星とは違う特別な地位を占めているのは、「三角標に姿を変える」ということではなくて、ジョバンニが地上から銀河鉄道へと移動する決定的な場面において、蕈のように延びたり不思議な挙動をするなど、何か重要な役割を担っているふしがある、という点ですよね。
「後期形」においては、「琴の星」が上記のような特別な地位にあることは変わりないものの、「天気輪の柱」という「星ではないもの」が「三角標」に姿を変えるところが、本当に不思議な現象だと思います。
またお気づきの点がありましたら、ご教示いただけましたら幸いです。
ご体調の、完全なる回復をお祈り申し上げます。