対談「賢治の生命観―ほんとうのさいわいをさがしに」

対談「宮沢賢治の生命観―ほんとうのさいわいをさがしに」

 京都市深草の龍谷大学で行われた、対談「宮沢賢治の生命観―ほんとうのさいわいをさがしに」という催しを聴きに行ってきました。ゲストスピーカーとして、清六さんの孫である宮澤和樹さんを花巻からお迎えし、龍谷大学教授の鍋島直樹さんが聞き役です。賢治の人となりや思想について、宮澤和樹さんにいろいろな角度から話をお聴きするという企画でした。上の写真で、向かって左が宮澤和樹さん、右が鍋島直樹さんです。
 この催しは、大学生にとっては講義の一環で、そこに一般の人も無料で入れてもらえるという形式でした。大きな黒板のある大きな教室には、かなり年輩の方まで大勢の人々が来ておられ、私自身も、若い学生さんに混じって講義が受けられるというのは、懐かしいような楽しい経験でした。

 スライドやBGMも駆使して、「雨ニモマケズ」や「虔十公園林」や「銀河鉄道の夜」などの作品を取り上げつつ、賢治の人間観、宗教観などについてお二人の間で対談が繰り広げられていきましたが、最後に鍋島さんが述べられた、「大乗仏教」の「大乗=大きな乗り物」とは、いわばどこまでも宇宙を進んでいく「銀河鉄道」によって象徴されていたという、まとめの言葉が印象的でした。この乗り物には、殺生を犯す「鳥捕り」でも、キリスト教徒も、さらに「天上」よりも先へ進もうとするジョバンニも、みんなが一緒に乗ることができたのです。
 また、宮澤和樹さんがお話の中で紹介された、清六さんにまつわるエピソードの中で心に残ったのは、生前の清六さんは毎日朝晩、賢治の遺言で作成された『国訳妙法蓮華経』の「提婆達多品第十二」を読誦しておられたということです。そのテキストには、赤や青の鉛筆でたくさんの傍線が引かれていて、その中でも、

三千大千世界を観るに、乃至、芥子の如き許りも、是れ菩薩にして身命を捨てたもう処に非ること有ることなし。

という箇所には、赤と青で二重の傍線が引かれていたということでした。これは、その場でスライドにより指摘していただいたとおり、賢治の短歌の「みふゆのひのき」連作(大正六年一月)における、次の歌にそのまま生かされているところです。

442 (はてしらぬ世界にけしのたねほども
    菩薩身をすてたまはざるなし。)

 最後は学生から宮澤和樹さんへの花束贈呈があって、お昼過ぎに特別講義は終了しました。教室から出る前に鍋島さんと宮澤さんにご挨拶をして、今ちょうど別の校舎で行われている「宮沢賢治の銀河世界」展も見て、大学を後にしました。


 さて、この龍谷大学の賢治関連企画シリーズは、来月もまた楽しみです。
 なんと、今度は賢治記念館副館長の牛崎敏哉さんはじめ「劇団らあす」が京都へ来られて、「鹿踊りのはじまり」の朗読劇が行われるのだそうです。
 日時は12月20日10時45分から、会場は今日と同じ龍谷大学深草学舎3号館301教室ということです(地図はこちら)。

劇団らあす「鹿踊りのはじまり」