フランドン農学校の豚と「死の自己決定」

 昨今は、日常生活の様々な分野で、「自己決定権」の尊重ということが重視されるようになっています。何であれ、自分自身のことについて他人が勝手に決めて押しつけられるよりも、自分でよく考えて決めたいと思うのは当然のことでしょうから、これ自体は望ましい一つの方向なのでしょう。

 他の地域ではよく知りませんが、私の住んでいる街では、タクシーに乗って行き先を告げると、たいてい「どの道を通って行きますか?」と運転手さんに尋ねられます。私自身は、日々の交通事情に通じているわけでもなく、またいちいち自分で考えるのも面倒なので、こういう場合は、「いちばん早い道を行って下さい」と答えることにしています。せっかくの自己決定権を、もったいなくも自ら放棄してしまうわけですね。それにしても、タクシーでこういうふうに尋ねられるようになったのは、この数年以内の現象のように思います。
 乗客によっては、道路事情に詳しくて「自分で経路を選択したい」という人ももちろんおられるでしょうが、私が思うには、あらかじめこのように訊いておけば、後からお客が「変な道を通られて or 遠回りをされて、余計に料金や時間がかかった」などと言って、難癖を付けてくる心配がないだろうという、タクシー会社としての自己防衛の手段なのではないかとも思ったりします。

 まあそれはさておき、「自己決定」ということが近年特に切実に問題にされるのは、「医療」の分野においてです。人の命に関わってくる領域ですから、深刻になるのも無理もありません。
 例えば、「インフォームド・コンセント」という言葉をよく耳にしますが、これは、患者が医師から病状や治療法の選択肢について十分な情報を与えられた上で(インフォームド)、実際に行う治療内容に対して自分の判断で同意(コンセント)をする、という医療プロセスのことです。一昔前の「医師」―「患者」関係においては、医師側が圧倒的な医学的情報を握っていることを背景に、また患者側にも医療への素朴な「信頼」が生きていて、どんな治療を選択するかという問題については、「お医者様にお任せする」というスタンスがとられることが、一般的でした。しかし現在では、一人の医師の説明や治療法に納得がいかなければ、別の医師の意見を聴く(セカンド・オピニオン)という行為も、ごく当たり前のことになっています。
 医師と患者の間で、完全に対等な関係を実現できるかという問題はともかく、情報格差を埋めることによって、できるだけそれを対等に近づけ、治療選択における患者の「自己決定権」を保障していこうというのが、最近の流れです。

 と、ここまでのところは、話としては特に誰からも反対意見の出ないようなことでしょう。そして、この方向の延長上に、「私は自分の死ぬべき時・死に方についても自己決定をしたい」という考え方が出てきます。
 これは大まかに言えば、「尊厳死」という概念の意味するところと重なり合います。

 「日本尊厳死協会」のサイトの「尊厳死とは何か」というページには、「尊厳死とは、患者が『不治かつ末期』になったとき、自分の意思で延命治療をやめてもらい、安らかに、人間らしい死をとげることです。」という説明が掲げられています。このような「死」を実現するために、日本尊厳死協会は、「リヴィング・ウィル」という自分の生前意志の証明書を作成することを勧めています。
 「日本尊厳死協会の具体的活動」によれば、「リヴィング・ウィル」の具体的内容は、「(1)不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する (2)苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい (3)植物状態に陥った場合、生命維持措置をとりやめてください」というものだそうです。このような活動を通じて、「日本尊厳死協会」は、「『死』についての権利と『自己決定権の確立』をめざして」活動をしている、とホームページで謳っています。

 さて皆さんは、このような「死の自己決定権」について、どのようにお考えでしょうか。

 私自身は、このように「死を自己決定する」という考えには様々な問題があると考えており、ましてやそれを法制化することには、反対の意見です。
 たとえば、「リヴィング・ウィル」の中の、「植物状態に陥った場合、生命維持装置をとりやめてください」という項目があります。「植物状態」という言葉は、与える印象が悪すぎるというので最近は「遷延性意識障害」という言葉の方が推奨されているようですが、その「遷延性意識障害」が1年9ヵ月続いた後でも、回復して元気に働いている人だっているのが現実です。それなのに、いったん「植物状態」になっただけで積極的に死を勧めるかのような「リヴィング・ウィル」の内容は、人に重大な誤解を与えて希望を奪うものではないでしょうか。

 さらに、それ以上に私が「尊厳死」という考え方に対して危惧をおぼえるのは、「尊厳死」を肯定する人は、「これはあくまで個人の意志であって、他人に同様のことを押し付けるものではない」と言うにもかかわらず、このような思想が広まっていくと、それはどうしても人々の心に一定の拘束力を持つようになってしまうだろう、ということです。
 作家の加賀乙彦氏は、『素晴らしい死を迎えるために――死のブックガイド』(太田出版,1997)という本の中で、次のように書いておられます。

 リビング・ウィルは自分で文章を作るだけでなく、私の場合は妻や息子や娘に自分の意思をよく説明し、宣言内容についての承諾を得ている。
 死んだ人間をあとで世話するのは家族や友人である。私は、死ぬときに、家族や友人に余分な負担をかけたくないのである。

 ここで加賀氏は、あくまで「私」の個人的なこととして書いてはいますが、『素晴らしい死を迎えるために』と題された本において、加賀氏のように立派な作家によるこのような文章に触れた読者は、「死ぬときに、家族や友人に余分な負担をかけ」るのは、「素晴らしい死」とは言えないのかな、と思うでしょう。「余分な負担」というのが、いったいどこから「余分」ということになるのか疑問ですが、とにかく周囲に負担をかけずに早く死なせてもらうのが、「いさぎよい」ことのように思えてしまいます。
 となると、病気や障害のために、「周囲の人の介護を受けながら」生きながらえていくのは、潔い生き方ではなく、何となく世間に対して肩身の狭いことになっていってしまいます。「日本尊厳死協会」の言葉を使えば、そのような状態になったら、なるべく早く死を選ぶことこそが、「人間らしい死」ということになってしまいます。
 ただでさえ、自分が病気や障害のために周囲に苦労をかけていると思うと、情けないとか申しわけないとか、誰でも罪悪感を感じてしまいやすいのに、上記のような考え方が一般化していくと、「こんな自分は早く死んでしまった方が皆のためだろう」「周囲からもそう思われているに違いない」などと、「死への無言の圧力」を感じて、結局は「尊厳死」を選択する人も増えていくのだろうと思います。
 ちなみに、そのような状態で「死への圧力」を感じざるをえないのは、「周囲の援助なしには生きていけない状態に置かれた患者」と、「援助を行っている家族や医療者」とは、対等な関係にあるわけではなく、患者の方が圧倒的に「無力」な立場にあるからです。

 はたして、こういうことになっていってもよいのでしょうか。
 私は、このような考えは、「健やかで有用な生命」には価値があるが、「役に立たず周囲の重荷になる生命」には価値がない、というような「優生思想」に、結局はつながっていくと思います。
 「死の自己決定」は、あくまで個人が自由意志で行うものだという名目だったはずなのに、知らないうちに一種の強制力を持つようになってしまうのです。これが恐ろしいところだと、私は思います。


 と、ここまでは宮澤賢治とは関係のない、大きなまわり道でした。
 話は変わって、賢治の童話に、「〔フランドン農学校の豚〕」というのがあります。農学校で飼育されていた豚が屠殺されるまでの心理を豚の側から描いた、いかにも賢治的な童話の一つですが、この中に、「家畜撲殺同意調印法」という、何とも皮肉な法律が出てきます。
 王様から布告されたこの法律は、「誰でも、家畜を殺さうといふものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要する」という内容でした。この国でも、従来は食用の家畜は人間の都合で一方的に殺されるだけだったのでしょうが、この法律が布告されたおかげで、家畜は自分自身の同意なしに殺されることはなくなったわけです。死にたくなければ、その家畜は承諾書に判を押さなければよいのです。
 一見するとこれは、動物たちに対する王様の慈悲にあふれた、何とやさしい法律でしょう。

 しかし、法律の実際の運用が、それほど「慈悲深い」ものでなかったことは、そのすぐ後に描写されています。

 さあそこでその頃は、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日には、主人から無理に強ひられて、証文にペタリと印を押したもんだ。ごくとしよりの馬などは、わざわざ蹄鉄をはづされて、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな判をぱたっと証書に押したのだった。

 つまり、家畜が承諾書に判を押すか押さないかは、家畜の自由意志に任されているわけでなくて、「主人から無理に強ひられ」て押さざるをえないことになってしまったのです。「家畜撲殺同意調印法」の条文そのものには、調印に強制力が伴いうるなどとはおそらく一言も書かれていなかったでしょうが、「飼主」―「家畜」の間の関係がもともと対等なものではなく、家畜は飼主によって拘禁され、現実に生殺与奪を握られている立場にあったため、いったん布告されると、現場ではこのように運用されることになってしまったのです。

 「〔フランドン農学校の豚〕」において、豚と校長のやりとりは、じつに切実に描かれています。

「実はね、この世界に生きてるものは、みんな死ななけぁいかんのだ。実際もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貴族でも、金持でも、又私のやうな、中産階級でも、それからごくつまらない乞食でもね。」
「はあ、」 豚は声が咽喉につまって、はっきり返事ができなかった。
「また人間でない動物でもね。たとへば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣のごときはあしたに生れ、夕に死する、たゞ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか死ぬのにきまってる。」
「はあ。」 豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。
「そこで実は相談だがね、私たちの学校では、お前を今日まで養ってきた、大したこともなかったが、学校としては出来るだけ、ずゐぶん大事にしたはづだ。お前たちの仲間もあちこちに、ずゐぶんあるし又私も、まあよく知ってゐるのだが、でさう云っちゃ可笑しいが、まあ私の処ぐらゐ、待遇のよい処はない。」
「はあ。」 豚は返事しやうと思ったが、その前にたべたものが、みんな咽喉へつかへてどうしても声が出て来なかった。
「でね、実は相談だがねお前がもしも少しでも、そんなやうなことが、ありがたいと云ふ気がしたら、ほんの小さなたのみだが承知をしては貰へまへか。」
「はあ。」 豚は声がかすれて、返事がどうしてもできなかった。
「それはほんの小さなことだ。ここに斯う云ふ紙がある、この紙に斯う書いてある。死亡承諾書、私儀永々御恩顧の次第に有之候儘、御都合により、何時にても死亡仕るべく候  年月日フランドン畜舎内、ヨークシャイヤ、フランドン農学校校長殿、とこれだけのことだがね、」 校長はもう云ひ出したので、一瀉千里にまくしかけた。
「つまりお前はどうせ死ななけぁいけないからその死ぬときはもう潔く、いつでも死にますと斯う云ふことで、一向何でもないことさ。死ななくてもいゝうちは、一向死ぬことも要らないよ。こゝの処へたゞちょっとお前の前肢の爪印を、一つ押しておいて貰ひたい。それだけのことだ。」

 この最初の話の時は、「いやです、いやです、」と判を押すことを拒否した豚でしたが、次に校長が来た時には、そうはいきませんでした。

「おおい、いよいよ急がなきゃならないよ。先頃の死亡承諾書ね、あいつへ今日はどうしても、爪判を押して貰ひたい。別に大した事ぢゃない。押して呉れ。」
「いやですいやです。」 豚は泣く。
「厭だ? おい。あんまり勝手を云ふんぢゃない。その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。これからだって毎日麦のふすま二升阿麻仁二合と玉蜀黍の、粉五合ずつやるんだぞ、さあいゝ加減に判をつけ、さあつかないか。」
 なるほど斯う怒り出して見ると、校長なんといふものは、実際恐いものなんだ。豚はすっかりおびえて了ひ
「つきます。つきます。」と、かすれた声で云ったのだ。

 それで結局、フランドン農学校の豚はまもなく屠殺され、解体される運命をたどるのですが、ご覧のように校長による「説得」の過程では、「お前が生きられているのはどれだけ周囲のおかげなのか」ということが、執拗に強調されています。ここの部分が、弱い立場に置かれている側にとっては、突かれると最も痛いところだからです。
 そしてこれが人間の場合でも、先に挙げた加賀乙彦氏が、「家族や友人に余分な負担をかけ」るくらいなら、死ぬことを選ぶと公言し、それが「素晴らしい死」であると考えておられるのも、根は同じところにあるのだと思います。

 さて、現代の日本では、まだ幸いなことに「家畜撲殺同意調印法」の「人間版」のような法律は存在しません。しかし2005年2月には、超党派の国会議員による「尊厳死法制化を考える議員連盟」(会長・中山太郎衆院議員)が発足し、法制化実現のために定期的にヒアリングを続けるなどの活動しています。
 2006年3月25日には、富山県の射水市民病院で、患者7人の人工呼吸器を医師が取り外して死亡させる事件が起こり、世間に衝撃を与えましたが、これを受けて上記議員連盟の渡辺秀央参院議員は、医療現場の問題を問うのではなく、「(尊厳死の)法律を社会が必要としているという問題提起ではないか。社会不安にもつながり、難しいからと先送りはできない」と述べ、法制化に向けた議論を加速させる考えを示しました。
 同議員連盟の要請を受けた厚生労働省は、2006年9月15日に「終末期医療に関するガイドライン(たたき台)」という文書を公表して、一般の意見募集を始めています。
 さらに、2007年6月7日に同議員連名は、尊厳死に関する「法案要綱案」を発表しました。

 私が恐れるのは、いったん「法制化」されてしまうと、これは「個人個人の選択の問題」であることを越えて、「世間一般の風潮」にまで影響を与えてしまうだろうということです。それは、終末期医療のあり方のみならず、何らかの形で「生きるために他人の介助を受けざるをえない」障害者や高齢者の人々を取り巻く環境にも、及んでいくでしょう。
 フランドンの王様がはたしてどういう意図で「家畜撲殺同意調印法」を布告したのかはわかりませんが、個々の家畜の「自己決定」に委ねられるはずだった「死の選択」が、現実には「強制される死」であったことは、童話に描かれているとおりです。

 「尊厳死」が法制化されたとしても、人の「死」のあり方は、その周囲の医療や社会の実態からの影響をまぬがれることはできず、本人の真の「自己決定」が実現されるとは、とうてい私には思えないのです。

[ 参考サイト ]
日本尊厳死協会
安楽死・尊厳死法制化を阻止する会
安楽死・尊厳死 (arsvi.com より)
安楽死・尊厳死に関する基礎資料

泣く泣く「死亡承諾書」に爪印を押す
宮沢賢治記念館企画展「フランドン農学校の豚」ポスターより