「わらべの像」アップ 「石碑の部屋」に、「わらべの像」をアップしました。「宮沢賢治童話村」の中に、去年の9月に建立されたものです。 ツイートする この記事に付けられたタグ 宮沢賢治童話村(1記事), 銅像(1記事) 前の記事 次の記事 コメント かぐら川 2007年9月13日 22:45 ちょうど今日、久しぶりにわくわくしながら「風の又三郎」を読み返していて、――数時間前のことですが――この“あんまり川をにごすなよ、いつでも先生いうでないか。”の合唱に、列車の中ながら思わず「くくくっ」と笑ってしまったことでした。が、その直後に、「青い粘土と赤砂利の崖」という賢治の眼にふれて粛然としたことでした。 返信 hamagaki 2007年9月14日 00:26 かぐら川様、こんばんは。 「又三郎」にまつわる不思議なめぐり合わせでしたね。 ご指摘の箇所も、やっぱり賢治の「眼」にかかると、われわれが何気なく見ている景色が、何か別の様相を帯びて現れてくるという感じですね。 「九月四日」の種山ヶ原でのエピソードも、読むたびに懐かしいような、また逆に不思議な異界の感じがするような、私にとって「粛然」とするところです。 返信 コメントの投稿 コメントの返信 コメント (スタイル用のHTMLタグを使えます) お名前 メールアドレス(任意) URL(任意) サインイン情報を記憶
かぐら川 2007年9月13日 22:45 ちょうど今日、久しぶりにわくわくしながら「風の又三郎」を読み返していて、――数時間前のことですが――この“あんまり川をにごすなよ、いつでも先生いうでないか。”の合唱に、列車の中ながら思わず「くくくっ」と笑ってしまったことでした。が、その直後に、「青い粘土と赤砂利の崖」という賢治の眼にふれて粛然としたことでした。 返信
hamagaki 2007年9月14日 00:26 かぐら川様、こんばんは。 「又三郎」にまつわる不思議なめぐり合わせでしたね。 ご指摘の箇所も、やっぱり賢治の「眼」にかかると、われわれが何気なく見ている景色が、何か別の様相を帯びて現れてくるという感じですね。 「九月四日」の種山ヶ原でのエピソードも、読むたびに懐かしいような、また逆に不思議な異界の感じがするような、私にとって「粛然」とするところです。 返信
かぐら川
ちょうど今日、久しぶりにわくわくしながら「風の又三郎」を読み返していて、――数時間前のことですが――この“あんまり川をにごすなよ、いつでも先生いうでないか。”の合唱に、列車の中ながら思わず「くくくっ」と笑ってしまったことでした。が、その直後に、「青い粘土と赤砂利の崖」という賢治の眼にふれて粛然としたことでした。
hamagaki
かぐら川様、こんばんは。
「又三郎」にまつわる不思議なめぐり合わせでしたね。
ご指摘の箇所も、やっぱり賢治の「眼」にかかると、われわれが何気なく見ている景色が、何か別の様相を帯びて現れてくるという感じですね。
「九月四日」の種山ヶ原でのエピソードも、読むたびに懐かしいような、また逆に不思議な異界の感じがするような、私にとって「粛然」とするところです。