ミステリー on 賢治

 賢治の童話でも、「ポラーノの広場」などは、途中でファゼーロやデステゥパーゴが行方不明になって警察が動き出すなど、ちょっとミステリー風の仕立てになっていますが、今日ご紹介するのは、賢治の世界を何らかの題材にした、現代のミステリーです。


 まず比較的有名なのは、「浅見光彦シリーズ」でテレビ化もされたこともある、内田康夫氏の『イーハトーブの幽霊』(1999)でしょう。

イーハトーブの幽霊 イーハトーブの幽霊 (講談社文庫)
内田 康夫 (著)
講談社 (2021/11/16)
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 主人公の浅見光彦が、たまたま花巻祭の取材のために「ホテルグランシェール」に泊まっていると、祭を前に「イギリス海岸」で死体が上がり、その初日には「さいかち淵」で毒殺死体が見つかり、さらにJR北上線で男が轢死して、「銀河鉄道の惨劇」・・・。
 話の中には花巻のいろいろな風物も織り込まれていて、この街を愛する者にはそれなりに楽しめる展開になってはいるのですが、作者が主人公の言葉を借りて語る次のような独自の「賢治論」には、ちょっと違和感もおぼえます。

 宮沢賢治が天才であったのは、まぎれもない事実といっていいだろう。しかし彼の作品が社会に受け入れられなかったのは、感覚的に時代に早すぎる登場だったことばかりでなく、作品のどうしようもない陰鬱さによるものではなかったろうか。
 賢治にしてみれば、自分のすぐれた作品が世に認められないことに、苛立ちと疎外感と、そして賢治にとってはわれながらいわれのないコンプレックスをさえ抱いたのではないだろうか。そのコンプレックスは屈折して、他人に対する高慢に形を変え、作品に投影されているような気がする。
 (中略)
 こどものころ、仲間たち大勢にからかわれたり、はやし立てられたりする惨めさ、悲しさを、もしかすると賢治は味わったことがないのかもしれない。秀才で、いつも指導的立場にいた賢治には、そういう落ちこぼれの子どもの気持ちが忖度できたかどうか疑わしい。登場する人々の愚行や失敗を、いつも高みから見下ろすように描いた作品が多いのはそのせいなのだろうか。(文庫版p.24-25)

 これは、宮沢賢治の作品の実態とも、伝えられる賢治の「人となり」とも、まったく違っているように思います。内田康夫氏は、どういう作品の「読み」や、どんな情報をもとにして、このような推測をされたのか、聞いてみたいところです。何となく、「浅見光彦の推理力」が、色あせて見えてしまう箇所でした。


 さて次は、より新進の作家である鯨統一郎氏が、やはり1999年に世に出した、『隕石誘拐 宮沢賢治の迷宮』です。

隕石誘拐―宮沢賢治の迷宮 (光文社文庫) 隕石誘拐―宮沢賢治の迷宮 (光文社文庫)
鯨 統一郎
光文社 (2002/3/20)
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 主人公である童話作家が、突然その妻と息子が誘拐されるという形で事件に巻き込まれ、友人とともに必死の探索を行うという展開ですが、謎の背景として、実は生前の宮沢賢治が岩手県地質調査の際に秘かにダイヤモンド鉱脈を発見していて、「銀河鉄道の夜」の、幻の「第五次稿(!)」の中に、その場所を記す暗号が隠されていた・・・というのです。
 また登場人物の名前が面白くて、主人公の友人が「伊佐土(いさど)」とか、飼い犬が「ザウエル」とかいうのは序の口で、「マジエル様」という人物に率いられた謎の組織があったり、それから「田練会(タネリ会)」という名前の暴力団が出てきた時には、私も思わず笑ってしまいました。
 それから、各章の章題が、「九月一日」で始まって、「九月十二日」で終わるというところは、「風の又三郎」と同じ趣向になっています。ストーリーとは関係ありませんが、上の写真のように表紙には花巻電鉄の「馬面電車」の絵もあるのが、独特の雰囲気をかもし出しています。
 ちょっとハード・バイオレンス趣向のところもあったりして、好き嫌いは分かれるかもしれませんが、こちらの方が内田康夫氏よりは、「賢治ワールド」の深い調査をもとにして書かれているという印象です。


 さて最後は、題名だけ見ると確かに賢治に関連したミステリーのようですが・・・。

 宮沢賢治殺人事件 (文春文庫)  宮澤賢治殺人事件 (文春文庫)
 吉田 司


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 多くの方はすでにご存じのように、これは実は「ミステリー小説」ではなくて、「賢治神話を解体しようとする、少々お下品なノンフィクション」です。
 あの賢治生誕百年の盛り上がりの翌年早々に、この本が出版されたことは、社会的にもインパクトはあったと思いますし、吉田司という人の、物書きとしての何か天性の嗅覚のようなものを感じるところです。
 この著者のお母さんというのが、旧姓櫻井コトと言って、松田甚次郎らの主宰する戦前の「山形賢治の会」の中心メンバーの一人でもあり、松田の『土に叫ぶ』が出来た時には一緒に花巻に行って、本を捧げて賢治詩碑の前にぬかづき、また昭和13年に政次郎氏から『国訳妙法蓮華経』を贈呈された人だったというのも、妙に不思議な縁です。
 これは、「賢治好き」の方に、不用意にお薦めできる本ではありません。全編、賢治に対する誹謗・中傷があふれていて、事実誤認のようなところもあります。しかし私などは、この著者の本そのものは面白くて好きです。


 ということで、三冊とも重くない読み物で、なおかつ文庫化されていますから、夏休みの旅行のお供などにもいかがでしょうか、という本日のご紹介でした。