小樽から帰る

朝の小樽築港

 上の写真は、今朝の6時半頃、ホテルの窓から小樽の西北、茅柴岬の方を眺めたものです。

 今日はこの後、小樽市内をいくつかめぐったのですが、夜になって京都に戻ると、「万両」に寄って「おでん」を食べて、さっき家に帰ったので、この間の詳しい経過は、明日にでもご報告させていただきます。

 ところで、小樽についてここで何か一言述べるとなると、この街の高台に立つ小林多喜二の文学碑の次の一節を、私はここで引用せざるをえません。多喜二が獄中から出した書簡の一節だということです。
 これこそ、「小樽」という街を、小林多喜二がスケッチしています。

冬が近くなると
ぼくはそのなつかし
い国のことを考えて
小林多喜二文学碑深い感動に捉えら
れている そこには
運河と倉庫と税関と
桟橋がある そこで
は人は重っ苦しい
空の下を どれも背
をまげて歩いている
ぼくは何処を歩いて
いようが どの人を
も知っている 赤い
断層を処々に見せて
いる階段のように山
にせり上がっている街
を ぼくはどんなに
愛しているか分からない

 賢治が修学旅行を引率して、小樽高等商業学校を訪れた1924年(大正13年)は、小林多喜二が同校を卒業した年でもあります。
 没年も、賢治も多喜二も同じ1933年(昭和8年)なんですね。