どんど晴れ

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 昨日から「どんど晴れ」始まったNHK朝の連続テレビ小説「どんど晴れ」は、昨日の初回の視聴率では関東14.9%、関西14.2%で、歴代の朝ドラの最低だったということですが、舞台は岩手盛岡で、岩手山の美しい風景や、宮澤賢治にまつわるエピソードなどもちらちら顔を出すということですから、今のところ私は録画して見てみることにしています。
 NHKの朝ドラを初回から見るなんて、おそらく生まれてはじめてですが。

 横浜のケーキ屋の家に生まれてパティシエを目ざしていた娘が、ある事情によって、婚約者の生家である盛岡の老舗旅館の「お女将」を継ぐことになる、という大胆な(!)お話です。そこでこのヒロインが、「ざしき童子」のようなトリック・スター的な性質を秘めているというのが話のポイントで、それが「遠野物語」に代表されるような岩手の民俗的風土と重ね合わされていくという趣向のようです。(上の写真でヒロインが箒を持っているのも、「座敷を箒で掃く音がする」というざしき童子の伝承を下敷きにしているのでしょうか?)
 今日の第二回では、ヒロインの婚約者が自分が生まれ育った旅館について、「あの宮澤賢治も泊まったことがあるんだよ」と自慢げに紹介しているシーンがありました。
 年譜的に明らかな「賢治が泊まった盛岡の旅館」としては、1909年(明治42年)3月31日~4月初旬の間、盛岡中学受験のために、母親とともに紺屋町の「三島屋」に宿泊したという記録があります。

 この「三島屋旅館」は実際に由緒ある老舗旅館で、野村胡堂の『随筆 銭形平次』には、日詰町出身の野村がやはり盛岡中学を受験しに父親と盛岡に出てきた折のことが、次のように書かれています。

 「宿はお前が勝手に探せ、明日昼頃、肴町の角へ荷物をつけた馬をやるから」こう父からいい渡されて、泣きたいような──でも非常な冒険に臨む勇士のような誇らしい──心持で盛岡へ出て来ました。これがその頃最も賢明な親の態度だったのです。もとより、下宿の見当も何もつかなかったので、以前父と一緒に泊ったことのある、紺屋町の三島屋の店へきて、のれんのかげからそっと、「お頼もうす」といっておりました。幸い女将が私の顔を記憶していたので、大した不自由もなく、階下の往来に面した室へ通されて、親類の児のようにいたわってもらった事を知っております。

 賢治とはだいぶ違った受験状況ですね。
 この旅館の跡地は、今は「三島内科医院」になっているそうですが、盛岡市内でも古い町並みの残るあたりです。

 ところで「どんど晴れ」では今後、ヒロインは盛岡市内の喫茶「イーハトーブ」に下宿することになり、そこの主人は、「宮澤賢治をこよなく愛する」人という設定なのだそうです……。