「友だちと 鬼越やまに」詩碑と幻の作品

 「石碑の部屋」に、「友だちと 鬼越やまに」詩碑をアップしました。昨年の夏に、撮影してきたものです。
 ところで、この詩碑に刻まれている作品は、下記のようなものです。

「友だちと 鬼越やまに」詩碑 〔友だちと 鬼越やまに〕

友だちと
鬼越やまに
赤銹びし仏頂石のかけらを
拾ひてあれば
雲垂れし火山の紺の裾野より
沃度の匂しるく流るゝ


 この文語詩は、旧版の『校本宮澤賢治全集』第六巻の、「補遺詩篇 I」に収録されていたものですが、『【新】校本宮澤賢治全集』になると、どの巻にも入っていません。これは、新しい全集になって姿を消してしまった、「幻の作品」なのです。


 なぜこれが「幻の作品」になってしまったのでしょうか。まず『旧校本全集』第六巻856ページの、この作品の「校異」を見ると、次のように書かれています。

 短歌236(「玉髄の/かけらひろへど/山裾の/紺におびえてためらふこゝろ。」)の前の余白に太い鉛筆で記されたもの。文語詩形は次のとおり。

友だちと
[燧堀山→(削)] 鬼越やまに
赤銹びし仏頂石のかけら [など→を]
拾ひてあれば
[その死→雲垂れし] 火山の [(ナシ)→紺の] 裾野より
沃度の匂 [いと→(削)] しるく流るゝ

右の文語詩形に至った後、細い鉛筆で次の加筆がなされている。
1行 (「友だちと」を棒線で削除)
2行 (この行の行頭に◎を記す)
3行 (「鬼越やまに/赤銹びし仏頂石のかけらを」をらせん状の
    線で削除)
4行 (「拾ひてあれば」を棒線で削除)

 この結果、「雲垂れし火山の紺の裾野より沃度の匂しるく流るゝ」という短歌の形となった段階がある。そしてさらに、右全体をこれも細い鉛筆の×印で削除してある。
 文語詩最終形と見られる形を本文として掲出した。  (引用おわり)

 すなわち、短歌「玉髄の…」の関連作品として、いったん文語詩「〔友だちと 鬼越やまに〕」が成立し、それがその後さらに推敲が加えられて、短歌「雲垂れし…」に変化したと見ているわけです。ここでは、「文語詩→短歌」という変化が起こったことになりますが、「短歌→文語詩」という改作は賢治の作品においてはしばしば見られるものの、「文語詩→短歌」というのは、非常に珍しい例になります。


 一方、『新校本全集』第一巻「校異篇」の、「歌稿〔B〕」の235a236(すなわち、短歌「雲垂れし…」の項には、次のように書かれています。

 235・236の下部余白に記してある。最初次のように試みる。
[燧堀やま→友だちと]/鬼越やまに/赤銹びし/仏頂石の/かけら [など→を]/拾ひてあれば
 ここまで書いて以上を削除し、あらためて次のように記している。
    雲垂れし/[その死→(削)] 火山の [(ナシ)→紺の] 裾野より/沃度
    の匂しるく流るゝ
    右に対する書きながらの手入れは、
      沃度の匂 [いと→しるく流るゝ]   (引用おわり)

 すなわち、『新校本全集』では、賢治がこの歌稿の余白で行った作業において、いったん「文語詩」が成立したとは見ず、あくまで「短歌235a236」の創作・推敲過程であったととらえているわけです。そうであれば当然、「〔友だちと 鬼越やまに〕」を独立した作品として扱うことはできないことになりますね。
 結局、「友だちと/鬼越やまに/赤銹びし仏頂石のかけらを/拾ひてあれば」という部分を作者が削除したのが、推敲作業中のいつのタイミングだったのかということが鍵になりますが、おそらく『新校本全集』の判断は、筆記用具や賢治の筆跡を慎重に検討した上での見解なのでしょう。

 賢治の「作品」が一つ減ってしまうというのは、ファンとしては何か「もったいない」ような感じもしてしまいますが、このあたりを厳密に検証するのが全集編纂の意義でしょうから、かくして従来の作品構成が変わるのも、研究の貴重な成果なのでしょう。

 そう思うと、鬼越山の南約6kmほどのところに建つこの詩碑は、今は消えてしまった「幻の作品」を、記念する役割も担ってくれているような気もしてきます。