・・・そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来ました。
カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌にひろげ、指できしきしさせながら、夢のやうに云ってゐるのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」
「さうだ。」どこでぼくは、そんなことを習ったらうと思ひながら、ジョバンニもぼんやり答へてゐました。・・・
「銀河鉄道の夜」において、銀河の岸の河原の砂を描写した有名なところですが、最近出た『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(堀秀道著,どうぶつ社)という本は、この箇所に関連して、素晴らしいことを教えてくれました。
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著者の堀秀道氏は、ある博物館が「宮沢賢治展」を開催するにあたってパンフレットに一文を書くよう求められ、生まれてはじめて花巻にやって来ます。新花巻駅でレンタカーを借りて、当てずっぽうに北上川に出ると、川岸に降りて一つの中洲に「上陸」し、ハンマーを取り出して作業を開始しました。
まもなく、著者のリュックには、黄緑色の蛇紋岩、緑黄色のエピドート(緑廉石)、青黒い角閃石、水晶、黄鉄鉱の結晶など、十数個の石が収められました。専門家から見ても、「半時のうちに、これほど多様な鉱物が集まる河原はめずらしい」とのことです。
これに続く感動的な一節は、下に引用させていただきます。
そのうち春の太陽は次第にかたむき、斜めにさしかかるようになる。すると、中洲の先端の方の、逆光の中に、何かピカピカ光るものがたくさん見えてきた。はて何だろう。輝きの正体を見届けるべく、すこし水中に踏み込んで探すと、数ミリ大、無色透明の粒があちこちで光っている。手に取ると、ガラスのようだが、結晶面に囲まれ、そのぬれた面が斜めの日光を反射していた。それは小さい水晶で、柱面がほとんどない、コロッとした形になっている。
「これは高温水晶だ!」と私は瞬間的に理解した。・・・
著者がさらに調べていくと、中洲の中のある箇所には、かなり広い範囲でこの水晶の粒のみで出来た白い浅瀬があることも判明したのだそうです。
河原の「水晶の砂」というのは、本当にあったのですね。実在していたのならば、「石コ賢さん」とまで呼ばれた賢治が、北上川の浅瀬に集まって輝くこれらの小さな水晶の粒を、少年時代に目撃していたのは確かでしょう。
そしてその美しさに見とれ、掌に取ってみた体験が、後に「銀河鉄道の夜」の一景として昇華されたのでしょう。
下の写真は、まさにこの時に著者が北上川の中洲で採集した、「高温水晶」の粒たちだそうです(上掲書口絵より)。
雲
ただの石では、なかったのですね。
本当に、水晶のように、きれいです。
心も、きれいになりそうです。
母方の祖母も、小さな石を集めるのが好きで、見せてもらいました。
長生きしてたので、よく、わからなかったのですが、賢治と同じ、明治29年生まれだったので、似ているのかな?と、思っていたのですが。
石の透明度を見ると、ちょっと、違うみたいですね。