「風の又三郎」の初期形「風野又三郎」に、次のような箇所があります。
竜巻はねえ、ずゐぶん凄いよ。海のには僕はいったことはないんだけれど、小さいのを沼でやったことがあるよ。丁度お前達の方のご維新前ね、日詰の近くに源五沼といふ沼があったんだ。そのすぐ隣りの草はらで、僕等は五人でサイクルホールをやった。ぐるぐるひどくまはってゐたら、まるで木も折れるくらゐ烈しくなってしまった。丁度雨も降るばかりのところだった。一人の僕の友だちがね、沼を通る時、たうたう機みで水を掬っちゃったんだ。さあ僕等はもう黒雲の中に突き入ってまはって馳けたねえ、水が丁度漏斗の尻のやうになって来るんだ。下から見たら本当にこはかったらう。
『ああ竜だ、竜だ。』みんなは叫んだよ。実際下から見たら、さっきの水はぎらぎら白く光って黒雲の中にはいって、竜のしっぽのやうに見えたかも知れない。その時友だちがまはるのをやめたもんだから、水はざあっと一ぺんに日詰の町に落ちかかったんだ。その時は僕はもうまはるのをやめて、少し下に降りて見ていたがね、さっきの水の中にいた鮒やなまずが、ばらばらと往来や屋根に降ってゐたんだ。みんなは外へ出て恭恭しく僕等の方を拝んだり、降って来た魚を押し戴いてゐたよ。僕等は竜ぢゃないんだけれども拝まれるとやっぱりうれしいからね、友だち同志にこにこしながらゆっくりゆっくり北の方へ走って行ったんだ。まったくサイクルホールは面白いよ。
「日詰の近く」に「源五沼」という名前の沼は実在はしませんが、これは日詰駅の南にある「五郎沼」をモデルにしているのだろうと思われます。
五郎沼と「竜巻」との関連は、賢治の作品では「産業組合青年会(草稿的紙葉群)」の最後に、「こゝはたしか五郎沼の岸だ わたくしはこの黒いどてをのぼり/むかし竜巻がその銀の尾をうねらしたといふその沼の夜の水を見やうと思ふ」として出てきます。
また、上記作品の文語詩改作形である「水部の線」には、「竜や棲みしと伝へたる/このこもりぬの辺を来れば・・・」とあって、ここでは「竜巻」でなくて「竜」が棲んでいたとされているんですね。
実際に、五郎沼に関連してそのような伝説が存在していたのかということに興味を引かれますが、これについて栗原敦さんは、このあたりの地元の「お菊の水」という話を紹介しておられます(『宮沢賢治 透明な軌道の上から』,新宿書房)。
それは、「紫波郡片寄のマタギ十兵衛に殺された五郎沼の主の大蛇が、十兵衛のもとに娘となって生まれて来るが、21の年に正体が現われ大暴風雨を起こして飛び去っていった」というものだそうです(「花巻(3)~日詰」も参照)。
「お菊の水」の悲劇は、童話「風野又三郎」では、子供らしい悪戯の冒険譚として、生まれ変わっているわけですね。
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