「経埋ムベキ山」の読み方

 かねてから「経埋ムベキ山。」というコーナーまで作っておきながら、今さらこんな基本的なことをお聞きするのも恥ずかしいのですが、「経埋ムベキ山」とは、いったい何と読むのでしょうか。

 というのは、私はこれまでたいして深く考えもせずに、これを「きょう うむべき やま」と読んでいたのですが、昨日たまたま原子朗著『新宮澤賢治語彙辞典』を調べていたら、これは「きょう うずむべき やま」と読み仮名が付いているんですね。
 ネットで検索してみても、「経埋ムベキ山 うずむべき」で Google 検索すると10件のページがヒットするのに対して(こちらをクリックしてみて下さい)、「経埋ムベキ山 うむべき」で検索すると、一つのページも引っかかりません。
 つまり、ネット上でわざわざルビを付けてあるページは、ことごとく「うずむ」の方を採っているのです。

 で、どっちが正しいのだろう、というのが私の疑問です。

 まず、送り仮名から見てみると、「うむ」でも「うづむ」でも、どちらも「埋む」と表記されますから、どちらの読みなのか区別することはできません。
 となると、意味や用法から考えるしかないでしょう。

 そこで、私の尊敬する国語学者大野晋先生の『岩波古語辞典』を引いてみると、下のように説明されています。(ちなみに、この辞書は動詞の連用形を見出し語とするという独自の方針をとっているため、下記も連用形になっています。)

う・め【埋め】〔下二〕(1) 穴や窪みに物を入れて一杯にする。(2) 水を加え
  て、ぬるくする。また、うすめる。

うづ・め【埋め】〔下二〕(1) 埋没させる。(土の中などに)うめこむ。(2) (上
  からおおって)すきまをなくす。いっぱいにする。

 これを見るだけでは何とも言えませんね。本屋で他の辞書も立ち読みしてみましたが、「うむ」と「うづむ」の違いはあまり明確ではありません。
 現代の「広辞苑」を見ても、「うむ」を引いたら、(1) うずめる と書かれていて、意味の区別はなされていません。

 しかし、私自身の感覚としては、口語の「うめる」と「うずめる」には少しニュアンスの違いを感じるのですが、どんなものでしょうか。
 「山にお経をウメる」でも、「山にお経をウズメる」でも、どちらでも全くおかしくはないのですが、「山にお経をウメる」というのは、いわばニュートラルな表現であるのに対して、「山にお経をウズメる」と言うと、何となく、「大きな穴を掘って、大量のお経をその中に入れ、上からまたどっさり土をかける」というようなイメージが湧いてしまうのです。
 皆さんは、いかがでしょうか。

 そこで私が思うには、「う・む」と「うづ・む」では、「う・む」の方が元からある形で、その語幹「う」に、「積む」がくっついて派生したのが「うづ・む」ではないか、などと考えたりするのです。『岩波古語辞典』で、「うづ・め」の語義にある「埋没させる」「すきまをなくす、いっぱいにする」というのは、うめこんだ物の上にさらに土や他の物を「積む」というような意味合いを含んでいるのではないか、とか思うのですが・・・。

 まあ、上記は素人の空想にしかすぎませんので忘れていただくとして、結局のところ、辞書的な情報だけからは、どちらが正しくてどちらが間違いと決めつけることは、できなさそうです。
 賢治自身がどう読んでいたのか、ということは今となってはわかりませんし、詰まるところ、この問題の答えは、ここで検討したかぎりでは「どちらとも言えない」ということになります。

 それならそれでしょうがないのですが、ここで私としては、世の中では「うずむ」派が圧倒的多数のようであるのが何故なのか、不思議に思えるのです。「どちらとも言えない」のならば、「うずむ」と読むよりも「うむ」と読んでおく方が、簡単だし素直だし、俺は「うむ」派だ、という方はおられないのでしょうか。
 これだけ多くの人が「うずむ」と読んでいるからには、何か私が見落としているようなその根拠があるのだろうか、とも思ったりします。

 そこで、本日のお願いですが、「うずむ」派の方がおられましたら、なぜそちらの読みの方を採るのか、ご教示いただきたいというのが、このエントリの趣旨です。