「〔いたつきてゆめみなやみし〕」は、「文語詩稿 五十篇」の冒頭を飾る作品です。
いたつきてゆめみなやみし、 (冬なりき)誰ともしらず、
そのかみの高麗の軍楽、 うち鼓して過ぎれるありき。その線の工事了りて、 あるものはみちにさらばひ、
あるものは火をはなつてふ、 かくてまた冬はきたりぬ。
病床にあった晩年の賢治を、まさに象徴するような静かな世界ですね。
賢治に強い印象を与えた「高麗(こま)の軍楽」というのが、実際にどのような響きだったのか、たいへん興味をひかれるところですが、これについて宮澤清六さんは『兄のトランク』所収の「賢治の世界」において、次のように書いておられます。
・・・亡くなる半年ぐらい前ですが、私は側におりました。粉雪がちらちら降ったり、陽がきれいにさしたり、ひじょうに寒い日でした。その時、遠くの方から不思議な太鼓の音が聞えてきたのでした。
ドンガドンガ ドンガドンガ
ドンガラドンガラ ドンガラドンガラ
というように――。それはずうっと続いて聞えてきて、表の道路を通りすぎて行きました。それを賢治はじっと聞いておりました。私と二人は暫くの間、ものも云わずに聞いておりました。
その中に賢治は、「ずいぶん、たいした人なんだなあ」というようなことをいいました。
これを受けて、今回もまた信時哲郎さんの「文語詩稿五十篇評釈一」のご教示を仰ぐと、この「軍楽」について、下記のような説明があります。
朝鮮の農村では「農者天下之大本」と書いた旗を先頭にした農楽隊が編成される。その起源として、戦時に農民軍を組織的に動かすための訓練であったという説がある。また「農楽隊が広い地域を巡る場合、彼らは乞粒隊つまり乞食、門付と同じ身分になる」(『朝鮮を知る事典』平凡社・昭和六一年)という。
ここで、「Yahoo! Korea」に「」(農楽)という単語を入れて検索してみると、いくつかそのビデオを視聴できるサイトがありました。
こちらのページには、「農楽」に関する解説が載っていますが、上端の画像の右側にあるビデオカメラのアイコンの付いたリンクをクリックすると、農楽の様子が見られます。上のリンク()からは、「農者天下之大本」という立派な旗が見え、下のリンク()からは行進の場面が見られます。その中には、「鮮人鼓して過ぐ」に出てくる「鳥の毛をつけた槍」のようなものも見えます。解説文の中には、太鼓や鉦や銅鑼などの楽器の絵もあります。
また、このファイルは、慶尚北道清道郡角北面という村の農楽団が慶尚北道の大会に出場した時の記録のようで、農楽の様子がたっぷりと視聴できます。
こちらのページからは、「金中子国楽芸術団」という韓国のプロの舞踊団体による農楽公演の様子が見られます。少しですが、日本語の説明も付いています。
(いずれも、ブロードバンド環境でないとちょっと視聴は苦しいと思いますが、ご容赦ください。)
これらを聴くと、確かに「ドンガドンガ、ドンガドンガ」という感じですね。そして、朝鮮の農楽に使われている「太鼓」は、腰の前に横向きに付けた太鼓を踊りながら両手で叩くというもので、岩手の「鹿踊り」の「太鼓踊り系」の流派で使われる太鼓とそっくりです。
自らも、鹿踊りのまねをして踊ることがあったという賢治にとって、この太鼓のリズムは心の奥底に響くものだったのかもしれません。
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