満洲の「精神歌」(2)

 ノンフィクション・ライターの吉田司氏というと、あの『宮澤賢治殺人事件』の著者として、天敵のように見ている賢治ファンも多いと思います。たしかにちょっと露悪的な書き方が目につくものの、他にはいろいろ面白い本も書いておられて、私はあながち嫌いではありません。

 その吉田司氏の『王道楽土の戦争』(NHKブックス)によれば、「満洲国」というのは、明治維新において薩長を中心とした西国に敗れた「奥羽越列藩同盟」の遺恨を引き継いで、山形県鶴岡出身の石原莞爾や盛岡出身の板垣征四郎ら東北人が、大陸に独立した新天地を築こうとしたのだ、ということになります。日本の「東北地方」を、中国の「東北地方」に移植する、とでもいう感じですね。
 「トンデモ史観」とすれすれのように思われますが、実際に東北地方の農村から満洲に入植した人々の数も多く、宮澤清六氏がかつて入営していた弘前歩兵第三十一連隊もずっと満洲に駐留していましたし、当時は東北からそのような思い入れをして満洲を見ていた人も、あったのかもしれません。

 すでに賢治の没後のことになりますが、その満洲で一時期、「精神歌」が歌われていたというのは、板谷栄城氏が『賢治小景』において紹介されたことで、さらに私は最近、高校時代に「満洲建国大学」出身の先生に「精神歌」を教えてもらったという方から、メールをいただいたりもしました。
 満洲で「精神歌」が歌われるようになった経緯について、『賢治小景』には次のように書かれています。

……賢治の友人の直木賞作家森荘已池氏の令妹の大村イシさんの談話に基づく次のような文章でした。
 「精神歌」については忘れられない思い出がある。昭和12(1937)年に民族共和運動のため満洲(中国東北部)に渡った後、宮沢賢治研究会を作った。リーダーは森荘已池さん。日本語のわかるロシア人、満洲人、建国大学の学生らが集まって勉強した。(中略)会合の後、必ず全員で「精神歌」を歌った。

 この時研究会に参加していた中に、後に俳優となる森繁久弥氏もいた、というのが面白いエピソードですが、ただ満洲建国大学の開学は1938年ということで、1937年には「建国大学の学生」というのはまだ存在していなかったはずですから、ここの記述はちょっと謎として残ります。

 一方、河田宏著『満洲建国大学物語』(原書房)には、この大学に第一期生として入学した岩淵克郎という学生の話がかなり詳しく出てきます。その入学試験における登場の場面は、下記のとおりです。

 花巻農学校三年生(中学五年生にあたる)岩淵克郎は仙台で試験を受けることになった。彼は郷土の詩人宮沢賢治が好きで農学校に進んだ。賢治がなくなってから四年。農学校を去ってからは十年余もたっていたが、農学校には校歌(精神歌ともいう)をはじめ、授業内容のいたるところに賢治の足跡があった。彼は農業をしながら詩を書く人になりたかった。建国大学創設を知ったとき、彼は満洲の広大な沃野でそれを実現する夢にとりつかれた。……

 この岩淵克郎氏はほんとうに詩が好きで、満洲での在学中、折に触れいろいろな詩人の作品を吟ずることがあったということですが、賢治の「精神歌」も、しばしば愛誦する詩の一つだったということです。ただ彼は、「歌っているのだが、うなっているようにしか聞こえ」ず、ある時期まで他の学生は、この歌詞に「とてもきまったメロディーがあるとは誰も思っていなかった」のだということです。
 ところが、1942年4月の新学期が始まってまもない頃、岩淵らが「校内造園計画」を呼びかけて、学生たちで植樹作業を行っていく過程で、セレデキンというロシア系学生が岩淵愛蔵の『宮沢賢治詩集』には「精神歌」の楽譜が付いているのを見つけました。セレデキンはヴァイオリンが弾けたのでそのメロディーを奏で、これがきっかけで、満洲建国大学の学生は皆で「精神歌」を歌うようになったのだということです。

 先述の、満洲建国大学出身の先生に「精神歌」を習った方は、最近この『満洲建国大学物語』の一冊を持って恩師を訪ねられたところ、先生は「精神歌のエピソードは書かれているとおり」と述べられたということです。
 そうすると、満洲に「精神歌」が伝わったルートとしては、森荘已池経由と岩淵克郎経由と、少なくとも2つあったということになります。

 ところで私は先週の連休に、安彦良和の『虹色のトロツキー』という漫画の全8巻を、一気に読んでしまいました。これは、満洲建国大学に入学したウムボルトという日蒙二世の謎の学生をめぐって、当時の大陸の政治・軍事情勢が展開していく傑作で、「松岡正剛の千夜千冊」には、その素晴らしい紹介があります。
 この漫画にも、「浪漫派・岩淵」がちゃんと登場するんですね。第2巻の終わり近く、吟じているのは残念ながら「精神歌」ではなくて、若山牧水ですが。

安彦良和『虹色のトロツキー』より