賢治とフランス音楽

 「ともねこブログ」に、「宮澤賢治の世界」と題したコンサートのお知らせが出ています。賢治と、フランス近現代の音楽、というちょっと不思議な取り合わせですね。当日演奏される曲目も、なかなかふだんは聴く機会の少ない作曲家のものが取り上げられていますし、なにより、「オンド・マルトノ」を実体験できるのがいいですね。

 ともねこさんによれば、たとえば賢治のベートーヴェン受容に見られる感性は、当時の日本のオーソドックスであったドイツ的なものとはやや異なって、ロマン・ロランやアンドレ・ジッドに代表されるような、フランス的な感受性によるものだったのではないか、ということです(「賢治とジッドの田園交響曲」)。
 たしかに、賢治がよく主催したレコード・コンサートで行っていたという解説の描写からは、音楽を一個の構築物として体験するよりも、「この曲には“風”と“雨”の音が入っているんだよ」などと、とりわけ感覚的に繊細に感受していた様子が伝わってきます。賢治が所蔵していたSPレコードには、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」や、「ノクチュルヌ」なども含まれていますが、「心象スケッチ」という賢治の文学的方法論は、音楽であれ絵画であれ、フランスの「印象派」のアプローチに非常に近いと思います。

 賢治が学んだ外国語は英語とドイツ語、あとせいぜいエスペラントだけで、フランスの文学や思想にはそれほど親しんでいたようではありません。しかし、ともねこさんご指摘のとおり、いろいろな面でフランス的な感性との共通性を感じますね。

 現代の賢治研究における両巨頭、天沢退二郎氏と入沢康夫氏が、元来はフランス文学者でもあるという事実は、はたして偶然の一致でしょうか。