北ぞらのちぢれ羊から

1.歌曲について

 この曲は、全体としてかなり謎めいています。
 「北ぞらのちぢれ羊」とは、空に浮かんでいる雲のことでしょうが、その雲から「おれの崇敬は照り返され」るという描写が、賢治らしくて独特です。「林と思想」詩碑へのコメントで述べたように、ここには自分の内界の現象と、外界の現象との間の境界が曖昧になり、渾然一体となった感覚があります。

 歌詞全体としても不思議な雰囲気が漂いますが、これらの言葉は賢治にとってなにかの重要性をおびたものであったらしく、『春と修羅 〔第一集〕』所収の「雲とはんのき」という作品の一節としても現れ、また『初期短編綴』として分類されている「図書館幻想」という短編作品や、「東京」ノートのなかにも登場します。「図書館幻想」においては、「ダルゲ」と名乗る謎の男が、突然この歌を「すきとほったつめたい声で高く歌ひ出」すという奇妙さです。

 そして歌詞が奇妙であるだけでなく、そのメロディーもまた非常に変わっています。
 『【新】校本全集』の歌曲篇を校訂された佐藤泰平氏は、この曲について次のように述べておられます(筑摩書房『宮沢賢治の音楽』)。

 もしかすると、この歌は「大菩薩峠の歌」よりももっと一般になじみがうすいかもしれない。音符の並べ方が何とはなく不愛想に見えるし、多くの人はこの歌が「星めぐりの歌」や、「月夜のでんしんばしら」の歌のように調子よく流れていかない歌だと察してしまうのであろう。それに歌詞にもとっつきにくい言葉がある。歌ってみる前に、何とはなく敬遠されてしまいそうな気の毒な歌である。

 その「不愛想」な「音符の並べ方」に関して、『賢治の音楽室』(小学館)というCDブックの解説の中で作曲家の林光氏は、「賢治歌曲の極北」と形容しておられます。
 このような旋律は、ちゃんとした「音楽的素養」を持った人からは、「逆さに吊るして振っても、絶対にこぼれ落ちてくることはない」もので、賢治ならではの曲だというのです。ちょっと読むと褒めているのかその逆なのかわかりませんが、結局そのメロディーは次のように総括されます。

 歌いはじめの音を第五音(ソ)と考えれば、これはいちおう長調の旋律である。が、そう聴かれることを拒否して逃げまわっている節まわしでもある。詩人の直感がみずからの<素養>を打ち負かして<向こう側の世界>へ飛びだしてしまったような、新しい音楽。

 現代日本を代表する作曲家であった林光氏をして、「新しい音楽」と言わしめる、賢治のこの不思議な旋律なのですが、実は『【新】校本全集』においては、それ以前の全集に掲載されていた楽譜から、1ヵ所の変更が加えられているのです。このページ最下段の楽譜は、変更前の『ちくま文庫版全集』のもので、これが『【新】校本全集』になると、五線譜一段目「ちぢれひつじ」の「つ」にあたる「ヘ」の音に、「#(シャープ)」が付けられます。

 この新たな「校訂」の根拠について、編集者の佐藤泰平氏は、著書『宮沢賢治の音楽』に次のように記しておられます。

 ある日、私が清六さんの前でこの歌を歌ったことがある。一度歌ったあと、もう一度最初から歌ってみて下さいといわれ、歌い出したところ、「あ、そこです、そこです。そこはちょっと低いですな、高くして歌ってみて下さい」といわれた。<ちぢれひつじから>の<つ>の音(ファ)を半音高くしなさいということであった。

 この一つのエピソードによって、1956年の「第一次筑摩版全集」から40年にわたって継承されてきた「阿部孝 採譜」なる楽譜に、変更が加えられたのです。

 しかし、このようにずっと楽譜が間違いつづけていたのなら、自らも楽譜が読めて、ハーモニカも巧みに演奏される宮澤清六氏が、この「ある日」に至るまでどうしてその誤りに気づかなかったのか、ちょっと不思議な感じがします。第一次筑摩版全集に初めて楽譜が掲載される時、清六氏はそれをチェックしなかったのでしょうか。またその後、全集が4度も編集しなおされても、清六氏はその楽譜を見たり演奏してみることは、一度もなかったのでしょうか。
 逆に、(こんなことを言うのは大へんにおこがましいのですが)清六氏の前で歌った時の佐藤泰平氏の歌い方はどのようなものだったのか、またそれをすでに80代か90代の高齢であった清六氏が、どこまで正しく聞き分けて60年ほど昔の記憶の旋律と照合し、誤りと判断したのかということも、本来ならば(このような校訂上の変更を行う場合には)検討されるべきところだと思います。もちろん、佐藤氏は音楽の専門家ですから、歌われた音程は正確だったろうとは思いますが、それでも人間が無伴奏で歌う旋律というのは、聞く者にとっては音程をとりにくいこともあるものです。
 佐藤泰平氏と宮澤清六氏の二人だけの間でかわされたというやり取りで、清六氏が亡くなられた今となっては、佐藤氏以外の者には検証のしようがありません。

 私自身には、この校訂の是非を判断することはできませんが、下の演奏にはとりあえず、「阿部孝 採譜」以来ずっと全集に掲載されてきて、林光氏が讃えたところの<向こう側の世界>の音楽の方を、採用させていただきます。

2.演奏

 ここで作成した演奏は、『賢治の音楽室』の附録CDに収められた林光氏による旧版楽譜の編曲を、'VOCALOID'の Kaito の歌声で再現したものです。もとのCDでは、林氏みずからがいきなり、「すきとほったつめたい声で高く歌ひ出」すという趣向になっていました。
 途中からは、オーボエ・ソロがオブリガートのように歌に絡みますが、その響きは哀調を帯び羊飼いの牧笛のようで、「トリスタンとイゾルデ」第三幕のカレオールの場面や、「幻想交響曲」第三楽章の、野の風景を思わせます。
 遠い青空の「ちぢれ羊」たちを引き連れた羊飼いでしょうか。

3.歌詞

北ぞらのちぢれ羊から
おれの崇敬は照り返され
天の海と窓の日おほひ
おれの崇敬は照り返され

4.楽譜

(楽譜はちくま文庫版『宮沢賢治全集』第3巻p.629より)