じつは当初の計画では、今日は早池峰山に登ろうかと思ってもいたのですが、脚の調子などもあってこれは自重することにしました。
仕度をして宿を出ると、大迫バスセンターまで稗貫川に沿ってのんびり歩きました。昨夜も触れたように、
賢治はこの町に三度来ているようですが、その1回目は1918年3月、盛岡高等農林学校研究生として土性調査にやってきた時です。
2001年の旅行記にも書きましたが、
夕食後に旅館から外に出た賢治は、橋の上にたたずみ、周囲をめぐる山々を見て寂寥を感じたといいます。この時に賢治が泊まった「石川旅館」
は、今はもう取り壊されてなくなっていますが、町の中心部で稗貫川にかかる「新大橋」のすぐ西のたもとにありました。
右の写真は、今朝この新大橋の上から稗貫川の上流の方を眺めたものです。賢治が眺めたのもこんな構図だったのでしょうか。ちなみに、
賢治が3回目に石川旅館にきたのは、関教授の慰労宴に同席した1920年8月で、その時の様子が「土性調査慰労宴」に描かれています。
さて、大迫バスセンターから「河原の坊」行きに乗り、「岳」の停留所で降りると、そこが早池峰神社です。
例によってここも廃仏毀釈の影響を大きく受けたところですが、
江戸時代までは妙泉寺という寺院の一部で、 修験道のメッカの一つでもありました。今も神社でありながらも、
門の両脇には仁王さんが立っていて、本殿は寺院様式の建築です。
まだ帰りのバスまでは少し時間があったので、神社の隣で早池峰神楽の資料を展示している「郷土芸能保存伝習館」に行ってみました。
歴史的にはここの神楽は、賢治祭で何度か目にした胡四王神楽や下根子神楽の師匠格にあたります。こんな山奥の秘境に、
これほど微妙な芸能が脈々と伝えられてきたというのは、なんと素晴らしいことかと思います。
バスで新花巻駅まで戻ると、駅前の山猫軒で食事をして、今回の旅行の最後の宿泊地である一関に向かいました。
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