花巻~大迫~平泉(4)

 明け方に一雨降って、朝の出発の時には地面はまだ濡れていました。今日は、まず下根子桜の詩碑を訪ねました。 これまでここで意識して見たことはなかったのですが、この羅須地人協会跡の高台から眺めると、一昨日に登った胡四王山、旧天王山、観音山が、 きれいに三つ並んで見えます。「三山鼎立」ならぬ「三山並列」の景色です(下写真)。

 晩年の賢治が、この三つの山をまず「経埋ムベキ山」の一番から三番までに選んだのは、羅須地人協会時代にここからいつも眺めていた、 こんな懐かしい風景の記憶があったのではないでしょうか。

 詩碑をあとにすると、旧奥州街道をそのまま南へ走り、南城中学校に去年の秋にできたという「雨ニモマケズ」の詩碑を見に行きました。 私は最初、「南城小学校」の方と勘ちがいしていたのでちょっと手間どりましたが、無事に中学校で詩碑を写真におさめると、 さらに一路、南に走りつづけます。このあとは、「経埋ムベキ山」の四番と五番にあたる「飯豊森」、「物見崎」を見に行くのです。

 まずは、北上市に入ったあたりで北上川西岸にあるはずの、「物見崎」を目ざします。ゆるやかな坂道のアップダウンを越えて、 この近くとおぼしき場所には比較的スムーズにやって来られたのですが、あたりの丘のどれが「物見崎」 なのかはなかなかわかりません。右往左往するうちやっとのことで「物見ヶ崎登口」という木の標識の立った石段を見つけた時には、 ほっとしました(右写真)。
 石段を登ると、鳥居には「金毘羅山」という額が掛けられており、頂上にも「金毘羅」と刻んだ石碑が祀られています。「物見崎」 という名前にもかかわらず、今はびっしりとそびえる杉の木立のために、頂上から周囲の景色はほとんど見えません。しかし昔は、 きっとこの小山は北上川に「崎」のように突き出して、ここから川の流れをよく見渡せたのでしょう。
 「金毘羅さん」は水運の神様ですから、おそらく江戸時代に盛んだったという北上川の舟運の安全を見守るための、 ここは重要なポイントだったのだと思います。地図で見ると、このあたりで北上川は南北の流れから大きく西に向きを変えており、 舟を操る上で注意を要する箇所だったのかもしれません。
 川の対岸にも渡って小山の全体像を写真におさめた後、こんどは西に走って飯豊森を目ざします。

 朝のうちにかかっていた雲はすっかり晴れて、かなり暑い陽射しになりましたが、がんばって走りつづけて東北自動車道の高架をくぐり、 田んぼの中にこんもりと盛り上がった飯豊森にたどり着きました。
 登り口のところには、「千代かけて飯豊森の峯高く 里の守り神ぞまします」という立派な歌碑が建てられています。歌のとおり、この山は 「山岳信仰」の対象などではなくて、ほんとうに「里の守り神」という身近さを感じさせます。階段状に整備された道を登っていくと、 頂上には 「観音堂」や「月山・羽黒山・湯殿山」の碑、山腹には「山ノ神」という大きな石碑も祀られていました(左写真)。

 山から下りると、休む間もなく急いで花巻の市街まで戻ります。市内のビル群が見えてきた時にはほっとして、 自転車を返却するや否や駅前から14時40分発のバスに乗りました。こんどは、花巻から北東の方向、早池峰山の麓の大迫町に向かいます。
 残念ながら早池峰の頂上近くは雲に覆われて見えませんでしたが、大迫の町並みにバスが入ると、はっぴを着た青年たちが行きかい、 お祭りの雰囲気が高まってきます。今晩の大迫は、名物の「あんどん祭」が行われるのです。

 ここ大迫の「あんどん」は、青森の「ねぶた」のように、絵を描いた紙の大きな張り子を山車の上に組み上げ、 中に灯をともして町を練り歩く趣向です。ねぶたに比べると素朴で小ぢんまりとしていますが、そのぶん何か哀調を帯びた風情も漂います。
 宿に荷物を下ろして一休みし、午後7時前に町の中心部に行くと、まもなく「中乙念仏踊」が始まりました。徐々に4つの「あんどん山車」 が交差点に近づき、それぞれに笛や太鼓の囃子で盛り上げていきます。つづいて「八木巻神楽」が奉納され、ついに8時50分からは、 4つの山車が交差点の四方から顔をつき合わせて、音頭や太鼓の競演を交互に繰り広げました。
 豪快な太鼓の低音は、まるであたりの山間にこだまするかのように響きます。この大迫は小さな町ですが、 みんなが夏のエネルギーをすべて一度にぶつけているような感じでした。

 賢治もこの大迫で少なくとも三回宿泊していますが、一人で哀愁にふけったり、宴席で閉口したりしていたようでした。 もしもこんなに素晴らしい出し物を見ていたら、鹿踊りや剣舞のように、これを一つの作品へと昇華してくれていたかもしれません。

 ところで、今晩屋台でつまんだものは、たこ焼き、からあげ、棒焼き、いか焼き、りんご飴、そして帰り道にラーメンでした。
 祭りの後に寄った小さなラーメン屋は、家族でやっておられるのでしょうが、その店の娘さんとおぼしき高校生くらいの女の子が店に同級生のような数人を招き、私たちの横で楽しそうに話を続けていました。