「雨ニモマケズ」詩碑

(裏面)
1.テキスト
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
宮澤賢治 作
(裏面)
平成二十四年三月十一日
東日本大震災供養之日
比叡山延暦寺
長﨟天台宗大僧正
行者山太光寺
大法印名誉住職
小林隆彰 寄贈
2.出典
「雨ニモマケズ」(補遺詩篇 II)
3.建立/除幕日
2012年(平成24年)3月11日 寄贈
4.所在地
広島県広島市中区中島町1 平和記念公園内 原爆供養塔北側
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5.碑について
広島平和記念公園内にある原爆供養塔の清掃を毎朝しておられる渡部和子さんが、ある日「広島の原爆供養塔に宮沢賢治の雨にも負けずの詩を刻んだ石碑があります」という情報をお寄せ下さいました。
そこでさっそく渡部さんにお願いして、詩碑を拝見してきました。
原爆供養塔は、下写真のような円墳状の土饅頭に、石造の相輪が立てられたもので、1955年に建造されました。

上の写真の裏手に廻ると、下の写真のように、納骨室の入口があります。

この写真で、向かって左端の方の石柱に立てかけてあるように置かれている黒っぽい「板」が、「雨ニモマケズ」詩碑です。御影石に彫られた重たい立派な石碑なのですが、地面に固定されているわけではなく、そこに「置かれている」だけです。
碑陰に刻まれているように、この碑は2012年3月11日の東日本大震災一周年に際して、比叡山延暦寺の長﨟であり広島市の太光寺の名誉住職でもある小林隆彰師が、寄贈されたもののようです。
小林隆彰師は、1996年の賢治生誕百周年には関西記念事業委員会の会長を務め、根本中堂前に立つ「宮澤賢治父子延暦寺参詣由来」という銘板も識された方です。
広島の原爆死没者と、「雨ニモマケズ」の詩とは、それ自体直接のつながりはありませんが、以前に「小倉豊文流「宮沢賢治葬」」という記事に書いたように、賢治研究者の小倉豊文氏が一家で被爆し、13日後に奥様が原爆症で亡くなった際に、小倉氏は「宮沢賢治葬」と銘打って、子供たちと一緒に「雨ニモマケズ」の詩を合唱し、妻の供養としたのです。
その意味で、この原爆供養塔に置かれている「雨ニモマケズ」詩碑は、まさにその小倉氏の「宮沢賢治葬」を、彷彿とさせるものです。
詩碑そのものは、この場所に正式に「建立」された状態には見えず、今後どうなるのか少し心配でもありますが、どうか末永くこの場所で、原爆と東日本大震災の死没者の霊を慰めつづけてくれるよう、祈らずにいられません。
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