「林と思想」詩碑
1.テキスト
ふき
の花
でいつ
ぱいだ
賢治の詩 緑巣
2.出典
「林と思想」(『春と修羅』より)
3.建立/除幕日
2008年10月12日竣工
4.所在地
北海道松前郡松前町西館 金子鴎亭記念北鴎碑林
5.碑について
近現代の日本を代表する書家である金子鴎亭(1906-2001)を記念して、その出身地である北海道松前町に、鴎亭とその門人たちの書を刻んだ84基の石碑を集めた「北鴎碑林」が、2008年に建設されました。2013年には、さらに36基を加え、現在ここには120基の碑があります。
中央の銅像が金子鴎亭氏で、その両側に、鴎亭の書による石碑が並んでいます。
奥の方にかすかに見える碑群は、門人たちの書を刻んだものです。
「北鴎碑林」の120基の配置は下の図のようになっていて、まさに「碑の林」と呼ぶにふさわしい状況です。
金子鴎亭は、函館師範学校を卒業後に上京し、書道界の革新運動を担います。それまでの正統的な書道では、漢詩や漢文ばかりを題材としていたのに対し、鴎亭は近現代日本の詩文を書にして同時代の感性を表現する、「近代詩文書運動」を興しました。1936年に著した『書之理論及指導法』では、次のように述べています。
過去及び現代の書道界は漢詩句をあまりにも偶像視した。これでなければ書の素材とならぬかの如く考へた者が多いが偏見も甚しいもので大いに排撃しなければならない。今後の日本書道界はその表現の素材として、我等日常の生活と密接の関係にある口語文・自由詩・短歌・短誦・翻訳詩等をとるも差支はない。古典を望むならば我国の古典を採るべきで、源氏物語・枕草子・万葉集・徒然草皆書の素材として恰好のもののみである。異国趣味の清算は時代の意欲である。書そのものを現代のものとすると同時にその素材をも亦現代の希求する国語となすべきである。
〔中略〕
打てば響を生じ、切れば鮮血の迸しり出る切実なる魂の叫び、印象的な夢幻の情緒、スピードに加ふるにスピードを以てする尖鋭化された都会人の感覚、自由闊達な明朗感、活発なる活動性、極りない変化と統一とをもつた律動、或は人生の裏面をも深刻に眺めようとする北方人の憂鬱、或は甘美に而も情熱的な南国風等。この様な多角的近代人の感覚や、情緒的傾向、感情を内包さしてこそ始めて国語による新素材を盛るに適した書となり、時代人の心奥と相ふれる普遍性をもつ事となる。斯くしてこそ明日の書道界が明るく、若き人々の為に洋々たる前途が展開し、観者には清新な香と響が齎らされる。(『書之理論及指導法』pp.192-193)
金子鴎亭は、このような熱意によって長く書道界を牽引し、1967年には日本芸術院賞受賞、1987年には文化功労者に選ばれ、1990年には文化勲章を受章しました。出身地の松前町も、1990年に名誉町民の称号を贈り、1994年には銅像を建立、2008年にこの「金子鴎亭記念 北鴎碑林」を建設しました。
「北鴎碑林」に並ぶ碑は、鴎亭が提唱した「近代詩文書運動」を反映して、日本近現代の詩歌の書を石に彫ったものですが、この碑の彫り方にも、他の一般の石碑とは違った特徴があります。
こちらのページの説明によれば、通常の日本の石碑は機械彫りで、文字の底部は丸く断面はU字形になっているのに対し、この「北鴎碑林」の碑は、文字の底部がV字形になる「薬研彫り」という方法で彫られているのだということです。
上の碑の「花」の字の横の画などにも、断面が「V字形」という感じが見てとれると思います。
日本でこのような彫りができる手彫り職人は少なく、もしも注文すると莫大な費用がかかってしまうため、この「北鴎碑林」の碑は、全て中国に特注し、2年半の歳月をかけて彫られたものだということです。
そういう意味でも、ここはなかなか他では見られない見事な石碑を観賞できる場所なのです。
※
この詩碑の文字を書かれた我妻緑巣という方は、『我妻緑巣の書業 1991-2004 宮澤賢治をたずねて』というご本も出しておられるようで、おそらく賢治について造詣が深くていらっしゃるのだと思いますが、「林と思想」のこの箇所をどのような思いで選んで書かれたのだろうかと、興味深く感じます。
この一節だけを取り出すと、特に賢治らしい独自の表現というわけではありませんし、同じ作品の中ならこの直前の、「あすこのとこへ/わたしのかんがへが/ずゐぶんはやく流れて行つて/みんな/溶け込んでゐるのだよ」の方が、ずっと魅惑的です。
一方この「ふきの花でいつぱいだ」の箇所は、そういう幻想の世界からふと現実に戻ったような、生々しくも懐かしいような手ざわりがあります。
この書にも、そのような身近に迫ってくるような、実体感がありました。