「雨ニモマケズ」詩碑
1.テキスト
宮沢賢治の詩
11.3
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニ
モ マケヌ
丈夫ナカラダヲ
モチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテ
ヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ
野菜ヲタベ
宮沢賢治
宮沢賢治は、平成8年に生誕百周年を迎えました。
37年という 短い生涯でしたが、詩人・童話作家として、
また教育者・科学者・宗教家・農民運動の実践者等、多
彩な活動を展開してきました。
「雨ニモマケズ」などの詩約八百篇、「銀河鉄道の夜」
「風の又三郎」「注文の多い料理店」などの童話約百篇、
短歌約千首など多くの作品を残していますが、ほとんど
無名のままにその生涯をおえています。
没後、賢治作品は広く世に紹介され、作品やその多面
体としての賢治世界への評価は年々高まりをみせ、現在
賢治作品は世界13カ国以上に翻訳されています。
経歴
明治29年 8月27日花巻町に出生 父政次郎(22歳)母
イチ(19歳)の長男
明治36年 町立花巻川口尋常高等小学校に入学(7歳)
明治42年 県立盛岡中学校入学(13歳)
大正4年 盛岡高等農林学校首席入学 級長(19歳)
大正7年 高農研究生、童話創作開始(22歳)
大正10年 稗貫農学校教諭(26歳)
大正13年 心象スケッチ「春と修羅」童話集「注文の多
い料理店」刊行(28歳)
大正15年 花巻農学校依願退職 独居自炊生活・羅須地
人協会設立(30歳)
昭和3年 夏旱天で稲作指導に奔走発病 年末急性肺炎
(32歳)
昭和8年 永眠(37歳)
2.出典
「〔雨ニモマケズ〕」(「補遺詩篇 II」)
3.建立/除幕日
不明
4.所在地
岩手県花巻市中根子 花巻パーキングエリア下り線
5.碑について
東北自動車道の下り線、すなわち北向きの車線を走っていると、北上市から花巻市に入る直前で、左手に「経埋ムベキ山」にも選ばれている「飯豊森」が見えます(下写真はGoogleマップのストリートビューより)。
道路はこのすぐ北から花巻市に入り、そこからさらに1.5kmほど北に進むと、「花巻パーキングエリア(PA)」があります(下写真もGoogleマップのストリートビューより)。
このPA内の、トイレや自動販売機があるあたりの少し南に、いつからか「〔雨ニモマケズ〕」の冒頭部を記した碑ができています。
文字は、「雨ニモマケズ手帳」に賢治が記した筆跡を拡大複写したもので、「宮沢賢治」についての簡単な説明と、「経歴」も掲載されています。
ただ、どんな人がこのPAを利用するのか考えてみると、ここからすぐ北にある「花巻南インターチェンジ」や「花巻インターチェンジ」で高速道路を降りる人が、目的地のすぐ近くまで来てこの花巻PAで休憩するということはあまりないでしょうから、基本的にこのPAを利用するのは、花巻市は通過して、もっと北へ向かう人たちでしょう。
そういった「花巻を通過する人」に対して、「あなたが今いるここ花巻は、宮沢賢治の故郷なのですよ」ということを教えてくれるのが、ここに設置された「雨ニモマケズ」詩碑だということになります。
ところで2023年度には、この花巻PAに、「花巻PAスマートインターチェンジ(仮称)」が設置される予定だということです。「スマートインターチェンジ」とは、ETCを搭載した車だけが利用できる、簡易型のインターチェンジのことだそうですが、そうするとこのPAを通る人も、またぐっと増えることが予想されます。
この場所にも、賢治を紹介する小さなモニュメントが存在することを、少しでも多くの人に知っていただければと思います。