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「雨ニモマケズ」詩碑

1.テキスト

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
           宮澤賢治

2.出典

〔雨ニモマケズ〕」(「補遺詩篇 II)

3.建立/除幕日

2018年(平成30年)4月7日 除幕

4.所在地

岩手県盛岡市材木町8-23

5.碑について

 その名も「いーはとーぶアベニュー」と銘打つ盛岡市の材木町商店街には、これまでにも光原社の「烏の北斗七星」碑や、「宮澤賢治坐像」や、「詩座」など、賢治にちなんだ様々なオブジェが設置されていましたが、2018年の春に、ここにまた一つ新たなモニュメントが誕生しました。意外なことに、盛岡市内では初めてとなる、「雨ニモマケズ」詩碑です。
 石碑としては珍しく、碑面がほぼ水平になっており、「ベンチにもなるように」という趣旨なのだそうですが、まだまっさらの賢治のテキストにお尻を乗せるのは、ちょっと畏れ多いような感じもします。

 この材木町には、賢治が童話集『注文の多い料理店』を出版した「光原社」が今も営業を続けているということで、賢治とは深いゆかりがあるのですが、今回この「雨ニモマケズ」詩碑の隣に立てられた電信柱のオブジェには、もう一つの賢治とのつながりが説明されています。

 ご覧のように、この古風な電信柱には「かまだ屋」という表札が掲げられていて、その下には次のような説明が書かれています。

かまだ屋
賢治は高農時代文学仲間とこの地にあ
ったかまだ屋という下宿屋によく集ま
って同人誌「アザリア」を刊行しました
又雫石の春木場まで夜を徹して歩いた
「バカ旅行」の出発点も此処でした

 1917年7月7日土曜日に、伊藤彰造、潮田豊、河本義行、纐纈熊雄、鯉沼忍、保阪嘉内、小菅健吉、福永文三郎、市村宏、宮沢賢治ら10名の『アザリア』同人は、この場所で「アザリア会第一回小集」を催し、作品の互選やテーブルスピーチを行いました。会の終了後、興奮冷めやらぬ小菅、河本、保阪、賢治の4人は、深夜0時15分から秋田街道を歩き、春木場まで行ったのです。若者たちのこの道行きを、保阪嘉内は「馬鹿旅行」と呼びました。
 ちなみに、この「かまだ屋」に下宿していたのは、『定本宮澤賢治語彙辞典』の「材木町」の項目の説明によれば、河本義行だったということです。
 まさに、賢治たちの青春の一ページが刻まれた場所ですね。

 現在、この材木町商店街では、4月~11月の毎週土曜日の15時10分から18時30分頃まで、道路を歩行者天国にしてたくさんの出店が軒を連ねる「よ市」が開催されており、この「雨ニモマケズ」詩碑も、2018年の「よ市」開幕を記念して除幕されたものです。
 材木町における土曜の夜の熱気は、アザリア同人たちがこの「かまだ屋」に集まった時代から、現代まで脈々と受け継がれているかのようです。