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「農民芸術概論綱要」碑

1.テキスト

兵 戈 無 用
平 和 の 礎

世界が
ぜんたい
幸福
ならない
うち

個人の幸福
あり
得ない
     賢治

2.出典

「農民芸術概論綱要」より

3.建立/除幕日

2010年(平成22年)8月15日 建立

4.所在地

花巻市愛宕町6 妙円寺平和記念館入口

5.碑について

 JR花巻駅の正面の細い路地を抜けて、曲がりくねった石段を降りて少し進んだあたりに、真宗大谷派の「妙円寺」があります。
 妙円寺と宮澤賢治の間の縁としては、父政次郎が有力スポンサーとなり賢治も幼少期から参加していた「夏期講習会」の幹事役を、妙円寺二十三世住職の長男・林正因氏が、一時務めていたということがあります。当時、東京帝大に在学していた林正因氏は、帝大の先輩の清沢満之を通じて、暁烏敏など仏教界の論客や高僧を、はるばる花巻まで講師として招く上で尽力しました。

 この妙円寺の境内には、すでに2003年に「求道すでに道である」という「農民芸術概論綱要」の言葉を刻んだ碑が建てられていましたが、その後また2010年に建立されたのが、こちらの碑です。この碑にも、やはり「農民芸術概論綱要」の言葉が取られています。
 碑がある場所は、妙円寺の境内ではなくて、通りからお寺の参道への入口脇にある、「妙円寺平和記念館入口」という一角です。下写真では、向かって右の門柱のさらに右奥あたりです。

 碑の横には、下のような副碑が建てられており、この碑の建立の趣旨を説明してくれています。

 すなわち、 この碑は妙円寺の第二十七世住職の林正文氏が、在職五十周年を記念して建立されたものだということですが、なぜ碑に大きく「兵戈無用 平和の礎」と刻まれるに至ったのかという経緯が、ここから読みとれます。
 碑に書かれている「二十五世住職 林正教」とは、林正文氏のお父様で、ここにあるとおり昭和19年に30歳の若さで、出征先の中国重慶において戦病死されました。この時、正文氏はまだ8歳だったそうです。
 残されたお寺では、正教氏の父で二十四世住職を務めていた義教氏が、急遽二十六世としてもう一度住職に就くとともに、未亡人となったのり さんは、得度をして女性僧侶となり、住職代務者として実質的に寺を守られました。終戦後は毎日のように、檀家の遺骨が戦場から届けられたということで、まだ子供だった正文氏は、当時は珍しかった女性の僧侶として本堂でお経を上げる母親を見て、胸が締め付けられる思いだったと回想しておられます。

 正文氏は、その母を継いで23歳の時に住職となられましたが、1986年(昭和61年)に父親の戦友だったという男性が、わざわざ宮城県からお寺に訪ねてこられ、正文氏の父は2週間飲まず食わずの行軍の後、栄養失調のために馬の手綱を引いたまま一緒に倒れて亡くなったと聞きました。あらためて平和への思いを強くした正文氏は、以後様々な平和運動に取り組んで行かれます。
 1989年に、花巻市文化会館で「心に刻むアウシュビッツ遺品展」を開催したことを皮切りに、1991年には「テレジン収容所の幼い画家たち展」を開き、2015年からは毎年世界各地から音楽家を招聘して、「花巻国際平和音楽祭」を開催しておられます。また現在、「平和憲法・9条をまもる花巻市民の会」会長や、「日本ユニセフ協会花巻友の会」会長などの役職も務めておられます。

 こういった平和活動がもたらしてくれた遺産として、妙円寺の境内には、アンネ・フランクの形見として彼女の父親から贈られた「アンネのバラ」や、広島の原爆で焼けた「被爆アオギリ二世」、長崎で被爆した「平和のクスの木」、沖縄のひめゆり学園の校門の並木として植えられていた「相思樹」などが植樹され、本堂には様々な戦争遺品を収めた「妙円寺平和記念館」も開設されています。


 そして、その「妙円寺平和記念館」へのファサードとして、お寺の外門の傍らに建立されたのが、この「平和の礎」の碑だというわけです。そこに選ばれた碑文は、賢治の「農民芸術概論綱要」から、あの「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」でした。
 まさに、「世界ぜんたいの幸福」のためには、この世から戦争をなくすことが何より必要でしょう。この賢治の言葉を御影石に刻んで、2010年の終戦の日に、この碑は建立されたのです。


 ところでこの妙円寺のように、一つのお寺で二つもの賢治碑が一緒に見られるというのは、他ではちょっとないことです。ここは花巻駅から、徒歩で10分もかからないほどの場所ですから、もしも駅でちょっと時間が余るような機会があったら、駅の正面の方向に少し足を延ばして、賢治とご住職の思いに触れていただくというのはいかがでしょうか。

 境内に入る時に見上げる門の上にも、「兵戈無用」、すなわち「軍隊も武器も必要ない」という『仏説無量寿経』の一節が、掲げられています。たしかにこれは、憲法第九条に通ずるものがありますね。


妙円寺の門