「農民芸術概論綱要」碑

1.テキスト

求道
 すでに
  みちである

      賢治

2.出典

「農民芸術概論綱要」より

3.建立/除幕日

2003年(平成15年)2月8日 建立

4.所在地

花巻市愛宕町7-53 妙円寺境内

5.碑について

 JR花巻駅から北東の方角、直線距離にしたら300mほどのところに、妙円寺という真宗大谷派のお寺があります。
 寺伝によれば、治承元年(1179年)に近江の玄祐という僧が恐山に詣で、その後花巻に来てここに草庵を結んで慈覚大師の真筆阿弥陀如来を安置したのが始まりとされています。その後、元亨3年(1323年)四世了達の時に本願寺の覚如上人に帰依して浄土真宗となり、寛文3年(1663年)十四世敬伝の時に妙円寺の号を許されたということです。また現在の本堂は、享和2年(1802年)に再建されたものです。

 そしてさらに時代が下って、平成15年(2003年)に、二十七世住職の釈正文氏が、この石碑を建立されました。
 碑の後ろに立てられている説明板には、建立の理由について下のような文章が記されています。

「求道すでに道である」石碑建立について、当山二十七世住職釈正文還暦(六十才)を機縁に京都大谷大学大学院へ入学を志し合格した折に宮沢賢治先生の弟様清六先生よりはげましのことばとして右記の色紙を贈られました。このすばらしいお言葉をいただき二年間毎週、月曜日、火曜日、水曜日と三日間朝六時十八分新花巻発の新幹線で京都へ通い平成九年三月大学院修士課程を卒業することが出来ました。修士論文も「宮沢賢治と浄土真宗」というテーマでまとめることができましたが、毎月清六先生のお宅へお邪魔して御指導いただいたおかげによりましてまとめることができたものです。
住職六十才から再出発できたのは、この清六先生のはげましのお言葉をいただいたおかげでした。住職として一念発起再出発できた大切なはげましのおことばをいつまでも忘れないようにと思い記念碑を建立した次第です。

    平成十五年二月八日
                         石林山妙円寺
                         住職 釈 正文

 すなわち、住職の大学院入学を祝って宮澤清六氏から贈られた色紙の文字を、石に刻んだのがこの石碑だということです。それにしても、2年間にわたって花巻から京都まで通学されたとは大変なことで、京都に住んでいる私としては、花巻詣での鑑としたいほどです。
 ちなみに、住職は上記の修士論文を中心とした『宮沢賢治と浄土真宗』(熊谷印刷出版部)というご本も出版されていて、私はイーハトーブ館の書籍コーナーでたまたまこの本を手にとったご縁で、この石碑の存在を知りました。

 そこでさっそくこれを拝見するために、私は妙円寺に参詣しました。碑は、黒く美しい石の面に、真摯さを感じさせる清六氏の筆蹟が彫られた、見事なものでした。

テキストは、賢治の「農民芸術概論綱要」の「序論……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……」の最終行、「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」から採られています。
「目標」に到達することだけでなく、そこへ至ろうとする「過程」にも、すでに価値があると説くこの言葉は、たとえば作品の推敲を死ぬまで延々と続けていたことにも表れているような賢治自身の世界観を、端的に述べていると思います。


妙円寺入口の門