「菊花品評会」句碑

1.テキスト

班猫は二席の菊に眠りけり

狼星をうかゞふ菊の夜更かな

秋田より菊の隠密はいり候

花はみな四方に贈りて菊日和

水霜をたもちて菊の重さかな

             風 耿

2.出典

「装景手記」ノート より

3.建立/除幕日

2001年(平成13年)9月21日 建立/除幕

4.所在地

花巻市矢沢 宮沢賢治記念館 南斜花壇

5.碑について

 宮澤賢治の「詩碑」や「歌碑」は全国に数多くありますが、正式に建立・除幕された「句碑」は、これが初めてのようです。(非公式に建てられているものとしては、イーハトーブ館裏の「宮沢賢治句稿」碑があります。)

 賢治はその生涯に、約1000首の短歌、800あまりの詩を作っていますが、俳句は、「【新】校本全集」のなかにも、30句が収められているだけです。パトスに満ちた彼の詩心は、俳句的な感性とは、また少し異なっていたのかもしれません。

 しかし、賢治の俳句を評価する人も一部にはいて、その一人がこの句碑建立のきっかけを作った、作家 森 荘已池 氏でした。氏は賢治の友人であり、その後は賢治研究家としても活躍された方ですが、つねづねこの菊花品評会の連作を、とくに賞賛していたとのことです。
 森氏は、1984年に賢治の句碑建立を思い立ち、かなりのところまで準備を進めていましたが、かなわぬまま1999年に亡くなられました。その後、その娘さんが遺志を継いで碑の製作や設置交渉をつづけ、ついに2001年の賢治忌に除幕式を行う ところまでこぎつけました。それが、この句碑です。

 この連作句の誕生の機会となった「菊花品評会」とは、 花巻の菊の愛好家で作る会が、ある時期、毎年秋に開催していたもので、賢治はその顧問のような役を委嘱されていました。
 これらの俳句は、当日出品された花に短冊として下げ、またその短冊を出品者への賞とするという趣旨で、賢治に依頼され たものだと言われています。昭和7年ごろのことですから、彼の最晩年にあたります。ちなみに、「風耿」とは賢治の俳号です。

 彼の若い頃からの短歌や、『春と修羅』の三つの集、『疾中』などの作品とこれらの俳句を比べてみると、そこにはまったく別の世界が広がっているようで、何かぼーっと気が遠くなるような感じがしてしまいます。
 文語詩の一部には、これと通ずる感覚があるとも思えますが、晩年になって出てきた賢治の一面なのでしょうか。